2005エルメネジルド・ゼニア社訪問ルポ

イタリアに足を運びはじめて足かけ11年。初めはイタリアについて全く無知だったが、少しは言葉も覚え町の景色にも馴れてきた。しかしこの間私は冬しか行ったことがない。夏のイタリアは知らない。今回は初めての夏のイタリア旅行になる。今回はエルメネジルドゼニア社が日本の有力テーラー・オーダー店を招いた旅行に参加した。エルメネジルドゼニアは織物工場からはじまった会社で 既製服など最終製品がゼニアの売上の多くを占めている現在でも ゼニアの服地を扱うオーダー店・テーラーをとても重要視している。今回の招きはその一環だ。

6/19

 中部国際空港を発ちフランクフルトを経て、ミラノマルペンサ空港に向かう。ミラノ行きの飛行機に乗ると言葉がイタリア語になるのが当たり前だがうれしい。ホテルに着いてすぐ休む。

6/20
 朝早くホテルを発ち、パルマ近くのメンズスーツの縫製工場MA.C.O.に向かう。ここは腕利きのテーラー、ラッファエル・カルーゾ氏が一代で大きくした工場だ。

 300名以上在籍する大きな工場だが、オートメーションでラインを服がながれてどんどん出来るわけではない。細かい工程に別れパート、パートごとの縫製のスペシャリストが自社で発注した特殊なミシンを使い美しく仕上げていく。毛芯も服の仕様に合わせて自作してプレスで立体的に仕上げている。スーツが出来上がるまでの工程中になんどもプレスをすると立体的になると言われている。ここは毛芯の段階からプレス工程が始まっている。現代高級スーツ縫製の重要な要素として中間プレスがあるのだ。工程の数が多いほど手作業の味がでるいい服になるがMA.CO社工場は本当に多くの工程がある。自社ブランドだけでなくディオールをはじめ有名クチュールのスーツの縫製も手がけている。

 創始者のカルーゾ氏も今だ現役の縫製指導者でひとりひとりの従業員がカルーゾ氏をとても尊敬しているのがよく分かる。服を作るよろこびを従業員と「共有」するというイタリア的幸福な労使関係がここでも見ることができた。(他社のはなしだが社員全員社長を尊敬し、かつファッションリーダーとして社長の着こなしを社員が熱く注目している光景を私は目撃したことがある。)カルーゾ氏はわれわれ日本のオーダー関係者にも親切に技術の解説を熱心にしてくれた。われわれ洋服を扱う人間はスーツを触るときに独特な手つきがあるらしいのだ。そのようにスーツをさわるわれわれをプロとして扱ってくれた。人間的にもすばらしい方だ。 できあがったMA.C.Oの服はオードックスな作りながらとても柔らかい軽い着心地だった。

 パルマでは外の気温は37度を超えていた。2年前フランスを襲った熱波がどうやらイタリアに来たらしい。すこし外に出るだけで汗がにじんでくる。冷えたペットボトルの水が本当にありがたい。 その夕べは織物の町、ビエラに移動。ホテルは山の近くで過ごしやすかった。

カルーゾ氏とランディ・ブルーノ氏(元ゼニア現在VBC)
MACO社内
カルーゾ氏がじきじき解説
MACO 工程
6/21
 ホテルから織物のまちビエラを通りトリヴェロのエルメネジルドゼニア本社に向かう。わたしは9年前この地に妻と二人で訪れた事がある。またわたしがまだ10代のころ兼高かおる世界の旅という日曜の朝やっていた番組でこの工場のこと紹介したのを見た覚えがあるのだ。いちど番組のアーカイブがあれば放送日なども知りたいものだ。 工場と言うと普通、平地にあることを想像するのだが、緑多い小高い山をどんどん上って行きその中腹に工場がある。かなり規模がおおきいのに珍しいと思う。山の上に城郭都市を造るのはローマ人ではなくエトルリア人。ゼニアにもその精神が宿っているかも。中は貴族趣味の邸宅と清潔な工場が併設されている。庭はすばらしいイタリア式庭園だ。庭園に面したエントランスホールに古代から近代へ毛織物産業がどうやって変遷したかという説話風の巨大な油絵が何枚も続いて飾られている。窓から入る柔らかな光がとても美しい部屋で、スタッフの紹介とゼニア社の現況についてのレクチャーが行われた。
ラニフィーチョゼニア内部の壁画
ラニフィーチョ(毛織物工場)ゼニアの中に入る。オーストラリアの現地で最高のメリノ糸を買い付け、糸を紡ぐ紡績から織り、フィニッシングまで一貫生産。私どもの店で扱うエルメネジルドゼニア、ロロピアーナはともに一貫生産の織物工場。イタリアの一貫生産は自分たちの意図する織物を意図した通りに作りたいという精神の現れ。他社が作った糸を買って織り上げたのでは思い通りの服地を作る事ができないということ。この精神が服地に宿るのでゼニアの服地で作ったスーツの着心地がすばらしいのだ。
 糸を紡ぐ工程ではゼニアお得意のハイパフォーマンスの糸も作られていた。ゼニアはハイパフォーマンス、トラベラー、ソルテックスなど紡績方法に特徴のある服地が多い。巨大な機械で織り機に糸をセッティングする工程の整経のプロセスの後、織りの工程がある。何十台もの織機から服地の耳に「ErmenegildoZegna」の文字を刻んだゼニアの服地がどんどん出来て行くのは感動的。(上の大きい写真参照)世界ではじめて服地の耳にネームを織り込んだのもゼニアが初めてだそうだ。
ラニフィーチョゼニアの美しい工場にて46歳の私。

 検反という人手によるチェックを経て、フィニッシングへ。織り上がってすぐの服地はすばらしいウールを使っていてもまるで麻100%のようにガサガサ。それをフィニッシング(整理)という工程を通ってはじめてすばらしい触り心地の服地になる。この工程はイタリア製の巨大な機械が服地を洗ったり、蒸したり、プレスしたりしている。見た目も派手な工程だ。そして重要なのは工程ごとに糸、服地を休ませるエイジングというプロセスがあること。すこしでも早く作った方が能率的だがこの工程があるためにしっくりなじんだ服地はテーラーに作りやすく、客に着やすい服地に育って行く。

 工場の中を見た後、服地をデザインするセクションを見学。ゼニアに限らず毛織物会社はほとんどおなじなのだが、デザイン部は工場のなかの一番光があふれる明るい部屋が当てられる。正しい色、美しい柄を選ぶ事が服地を作る会社の使命だから。ゼニアは窓一面ガラスで緑の山から明るい光が差し込む部屋がそれ。そこでわたしたちは VELLUS AUREUMという世界最高レベル(スーパー190s)のエクストラファインウールをを一mあたり290gの目付で織った美しい服地を見る。ゼニアが顧客ひとりひとりの為に耳に顧客の名前をいれ織り上げた服地。原毛は生産量のきわめて少ないエキストラファインウールをさらに選りすぐったもの。シューマッハ、日本の俳優Watanabe(ラストサムライ?)などからも受注したらしい。怖くて値段は聞けなかった。

 食事のあとオアジゼニアに向かう。ゼニアは工場だけではなくその一体、スキー場も所有している。ゼニアの工場は山の中腹に位置するがそれから車はどんどん山を登り、木々の間からかいま見る下界の景色はだんだんすばらしくなって、さらにのぼると景色のすばらしいところに出てきた。そこから見るゼニア一帯の景色、遠くにかすむビエラの街の景色をパノラミカゼニアというらしい。そして山の頂上にはリフトが何台もあるスキー場があった。ゼニアの工場から山頂にかけての一体のことをオアジゼニア(ゼニアのオアシス)と呼ばれている。ゼニアの工場はわき水も利用して美しい服地を生産している。そのわき水は上の山からの雪解け水や木々の根が保った水だ。織物生産に重要な水を源から自社所有して大切にしているということ。

 ゼニアの織物がオートメーションで出来る「工業製品」ではなく、羊と言う動物、そして空気、水というとりまく環境からできている「工芸製品」だと感じた一日だった。

 ゼニアを出て6時間高速を走り宿泊予定フィレンツエ近くの工業都市プラートについたのは深夜だった。

エルメネジルド・ゼニア糸のストック
エルメネジルド・ゼニアの服地が織り機から生み出される。
ゼニアの工場でチェック柄が出来上がる。
カシミア織物の表面を仕上げるラシャカキグサ
検反工程。ゼニア素材はキズが少ないのでも知られる。
6/22
 今回の旅、もう一つの目的フレンツエサンタマリアノッヴェラ駅北バッソ要塞内で開催のピッティウオモを見にいく。朝、ピッティウオモ会場に行く前にポンテヴェッキオ近くマンニーナへ店主夫妻の元気な顔を見に行く。ついでに一足オーダー。そして母への土産を求めにサンタマリアノッベラ教会に。そして中央市場であの最高に美味しいトリッパのパニーニを求め、食べながら歩いてフレンツエサンタマリアノッヴェラ駅北バッソ要塞内の会場に向かう。 夏のピッティは初めて。今回は冬のピッティウオモからまだ5ヶ月しか経ていない。なぜわたしがここにピッティウオモに通う理由か自問自答してみた。メンズスーツの世界は正直言ってあまり急激な変化はない。ペンシルストライプ、グレンチェック、ウインドペンなどなど、紳士服の半分以上を占める伝統柄は差し色は変れどほとんど変化がないのが現実。アルマーニが出たときは大きく変わったスーツ世界だったが、スーツの基本デザイン(あくまで基本)もすべてウインザー公の時代に完成していたということも言える。ピッティウオモは次のシーズンに売れるものを提示するビジネスの現場ではあるが、伝統的なファッションを好むヨーロッパの市場で認められている会社が数多く出展している。何がおしゃれかというよりもなにが正しいスーツかを問われる場である。やはりスーツは西洋の服=洋服で、現在、英国でスタイル、製法の確立したスーツを素材・デザイン・製法の3方向においてもっとも極めているイタリア、その中で名店、名ブランドが集まるピッティウオモを見つめるのはとても意味のあることだと思う。 今回の特徴を箇条書きで。・紺無地ジャケットは完全復活。展示もよくしてあったし、バイヤーたちもよく着ていた。やはり合わせるのが楽。
明るいグリーン(雨ガエル色?!)と薄いパープルを差し色としてよく見かけた。ミラノの街のショップでもこの2色を使ったシャツ、ネクタイが目についた。
・濃紺ストライプはジャケット・スーツともに健在。
・焦げ茶のジャケットをよく見た。キトンのブースでも目立った。ナチュラルな木材の色にちかい焦げ茶だ。個人的に焦げ茶好きの私としてはとてもうれしいかぎり。
・クラシコイタリアゾーンでは常連の出展社のブースのほかに日本の写真家、川内倫子の写真を紹介していた。
 バイヤー、参加者のおしゃれを見るのもピッティの楽しみの一つ。しかし今年のフィレンツエ、35度近い高温。湿度も決して低くない。さすがにおしゃれなバイヤーたちでもこの時期のスーツネクタイは厳しい。冬にはジェントルマンスタイルが多くを占めるピッティもはやりのクールビズではないがセンツアクラバッタつまりネクタイ無し派が8割を超える。レッド、ピンク、イエローなどカラーのパンツは全盛。白のパンツをはいたバイヤーも多い。一時は靴下が見えるほど短くなったパンツ丈もジーンズの丈に近くなり靴がかぶる長さをよく見るようになってきた。そこで2005夏ピッティウオモでのイタリア男の着こなしを見てみよう。
2005夏ピッティウオモ
当時のゼニアCEO パオロゼニアとピッティウオモで
2005 ピッティウオモ
2005夏ピッティウオモ

6/23
 プラートからミラノまではユーロスターで行く。ミラノで最近レオンなどでよく記事をみるヴェルチェッロ通りちかくの有名店アルバザールに行ってみる。レオンの記事と大量の日本人の名刺が壁に貼ってあるに辟易するが、これはイタリア流の親切心。徹底的にきどるのではなく当店は日本でも有名なんですよ日本人でもヨーロッパ人でもおしゃれな人なら歓迎か。アルバザールは日本のセレクトショップに比べて割安。パンツもギ・ローバーあたりのシャツで100ユーロくらい。品揃えもかなり豊富。日本にはカラフルでド派手目のショップとして紹介されているが「セレクトショップ」ということばより「メンズショップ」という言葉が似合うオーセンティックでいい店だった。

アルバザール ミラノ

 モンテナポレオーネのアンジェロフスコの店は本当にエレガント。ネクタイ、スカーフ類だけがおいてあり優雅な初老女性がていねいに接客してくれる。天井にかかっているシャンデリアもすばらしい。グランドピアノの置いてある店内はモンテナポレオーネの雑踏とはなれとてもゆっくりとした時間が流れている。ミラノッ子がゆっくり一本のネクタイをだいじに選んでいた。