抱返り渓谷をあとにして今回の旅のハイライトともいうべき、角館に向かいました。映像で見た角館の武家屋敷の景色が忘れられず、この良いシーズンに来ることができたのは幸運です。指定の駐車場にクルマを停めて、歴史的地区に歩いて向かいます。広い道路に沿って黒塀の武家屋敷が並ぶ姿は他ではなかなか見ることができません。折からの紅葉の趣を添えます。この地域の武家屋敷の中の代表、青柳家を見学いたしました。簡素ですが雪の重みにも耐えられる勇壮な建物は当時の秋田藩の武家の暮らしを偲ばせます。敷地内で青柳家と縁のあった武士であり画家でもあった小田野直武の特別展示がありました。

角館武家屋敷通りの紅葉
青柳家 角館

小田野直武は秋田藩佐竹北家の治める角館で武士の子として生まれ、幼少の頃から絵の才能を認められていました。角館を訪れた平賀源内に才能を見いだされ、当時翻訳中の解体新書に原書「ターヘル・アナトミア」の挿絵を写し取る仕事を依頼され、功績を残しました。その後、源内のもとで西洋絵画技法を自己のものとし、日本画と西洋画を融合した画風を確立していきますが、30歳の若さで急逝します。そんな小田野直武の人生を学び、武家屋敷をあとに。

解体新書の挿絵で功績を残した作家、小田野直武
小田野直武の石像と角館の紅葉

秋田県には初探訪でしたが、秋田といえば秋田犬。で武家屋敷の脇に秋田犬体験ののぼりを発見。ちょっとの時間、大きくも愛らしい和犬の秋田犬の夫婦と戯れました。その夜は角館郊外の温泉宿できりたんぽ鍋をつつきながらゆっくり。

角館で秋田犬と遊ぶ。

この日は朝から小雨のあいにくの天気。小雨の原因は日本海沿岸にある前線で岩手県の太平洋側、三陸海岸にでると雨は止むといいます。それならと角館から田沢湖を経由し、宮古まで足を伸ばすことにしました。田沢湖は火山のカルデラに水が溜まったため深さが400mオーバーと日本最深の湖です。湖には金色の「たつこ像」が立ち、湖面は神秘的な色合い。ただ雨なので観光客もほとんどいないのでちょっと寂しく、湖を半周して雫石、盛岡を経由し宮古めざしひたはしることに。

幻想的な田沢湖

盛岡から宮古までの道は、一般道でしたが高速道路の無料区間が大半で、スピードを出してドライブできるため80km近く離れていてもそんなに時間はかかりません。途中の北上山地の紅葉は、まるで東山魁夷か平山郁夫の描く日本画の如き風景がずっとつづきます。運転していたので写真に収めることはできませんでしたがそれは見事なもの。

東日本大震災で500名を超す死者行方不明者の大きな被害があった宮古市に被害のなかった愛知県民が観光で行くのは罪悪感がありましたが、やはり訪れて買い物をして経済を回すことも大事だと思い切って出かけました。まず行ったのは宮古市魚菜市場、ここでイカ、牡蠣、雲丹など夕食のおかずを仕込みます。牡蠣の殻を剥いてもらいいただき、昼食に珍しいタラの刺身の漬けの丼を。

宮古市魚菜市場
宮古市魚菜市場のお魚屋さんで牡蠣を剥いてもらう。
タラの漬け丼 宮古市魚菜市場
海鮮の卵とじ丼 宮古市魚菜市場

そして浄土ヶ浜に。浜の景色は紅葉もあり、それは美しいもので、青の洞窟もあるそうですが、知床の事故があってから観光船に乗る気おこらず、浜辺から景色を眺めることに。こちらは過去何回も津波で大きな被害があった場所。大きな石碑が浜に残り地震があったらとにかく低地に逃げず、高台に逃げろとの先人の言葉が刻まれていました。

浄土ヶ浜
龍安寺石庭の如し浄土ヶ浜

宮古をあとにして釜石、遠野を通りながら花巻が生んだ宮沢賢治記念館へ。ここで清くひたむきに生きた賢治の一生、そして作品を振り返ります。生前には評価されなかった賢治ですが膨大な童話、作品が残っています。ここは午後5時の閉館まで。

晩秋の宮沢賢治記念館
宮沢賢治使用のチェロ
田畑を歩く宮沢賢治

東北の岩手、秋田をめぐる大旅行になりましたが場所場所で温かい心の人々に会いました。忙しく生きるわれわれ東海道の人間にはない東北の風土に育まれたやさしさ、ゆとり、ゆずりあうこころがこのあたりの人々にはある気がしてしょうがありません。