心身ともに健康で若い頃から今までゴルフに親しめたのはほんとうに幸せなことです。そんな愛すべきゴルフ、今では起伏の多くない整ったフェアウェイでカートに乗ってプレイするのですが、ゴルフの起源は荒れた草っ原で遊んだのでしょう。そんなゴルフのルーツに行ってみたいという気持ちはずっとありました。
2022年6月21日に日本で二番目にできた雲仙ゴルフクラブに出かけました。ここは記念切手にもなっています。そして2023年の9月に北海道で最初にできた小樽ゴルフクラブのオールドコースにでかけました。どちらのコースも始まりの風景を思い起こさせる場所でした。

明治時代、日本最初のゴルフクラブ、神戸ゴルフ倶楽部にはいつか行ってみたいと思っていました。英国から来て、神戸を愛し永住した貿易商アーサーHグルームが、仲間と手作りで4年の月日をかけ六甲山の山頂近くに設立したのが神戸ゴルフ倶楽部の起源です。ゴルフなど明治の日本人に知るよしもなくメンバーのほとんどは外国人でした。

名古屋から高速で2時間40分、六甲山を登る細い道を通って着いたのは通常のゴルフ場とは違う一般の家のようなクラブハウスでした。ただその外に広がる緑の丘が普通の家と異なる所。ここで日本のゴルフが産声を上げたのかと感動しました。

由緒あるクラブハウスでグルーム氏の銅像と支配人と

ヴォーリズ建築のクラシックなハウスにどきどきしながら入るとこの日は生憎の雨でプレイするのはぼくらだけ。代々の名家から引き継がれたのであろう優雅なクラブメンバーはそんな雨のときなどわざわざゴルフはしません。迎えてくれたクラブの支配人、職員の方、レストランの支配人素晴らしい人格者ばかりです。クラブハウスでまずハムエッグをあてに身体を温める一杯。

英国流正式なテーブルマナーをノダからレクチャーされながら一杯だけいただく。

午前9時に着いたのですが雨は激しくなるばかり、恨めしげにポットバンカーを眺めるわれわれでしたが11時ごろにすこし雨が止んできて、クラブハウスで働くスタッフが見守る中、心勇んで「ディンプル」と名付けられた一番ホールのティーグラウンドに立ちました。今我々はカートでプレーしますがここは担ぎ。10本以下に制限されたといっても重いわれわれのバッグを4本まとめて抱えてくれた10年選手のベテランキャディくんも快活な人柄。できた当初は砂を重油で固めたサンドグリーンでしたが今はとても滑らかな美しいグリーン。

ディンプルと名付けられたパー3の一番ホール。幸いにもワンオン
一人で3バッグ4バッグを担ぐ。
クラブハウスにもどる18番

本来なら18ホール回るのですが、小雨そぼふるなかですから9ホールに短縮しました。それでも4ホールでパーがとれて嬉しいラウンドでした。

われわれのバッグを担いでくれたキャディくんと健闘をたたえて。

起伏の富んだ六甲のコースを愛したゴルファーがメンバーがゴルフ場に最適な土地を見つけ設立したのが日本屈指の名門鳴尾ゴルフ倶楽部です。ですから神戸と鳴尾は姉妹コースとなります。私の従姉妹に鳴尾のメンバーがいて神戸ゴルフ倶楽部をエントリーいただき神戸ゴルフ倶楽部/鳴尾ゴルフ倶楽部訪問という夢の2日間が実現しました。

次の日は雨も収まり、多くのプロたちが日本最高のゴルフコースと称える1920年(大正9年)設立の鳴尾ゴルフ倶楽部でした。聖地神戸ゴルフ倶楽部が応援してくれたのか鳴尾独特の高麗芝グリーンが微笑んでくれて、今年一番のいいゴルフができました。

雨も上がって爽やかな風が吹く鳴尾ゴルフ倶楽部
鳴尾ゴルフ倶楽部一番ホールは池越えで広いフェアウェイ。
雄大な3番ホール
難関15番ホールショート。打ち上げの道路越え。