昨日は水曜日休みだったが所属している業界団体の全国大会の打ち合わせに大阪にでかけた。集合が午前11時からだったのでそのの前にすこし時間があったので堂島にある国立国際美術館で「夢か現か幻か WHAT WE SEE」という映像インスタレーションの展覧会に出かけた。真っ暗な会場に複数の映像作品を「展示」してあった。「受胎告知」という面白い作品もあったがやはり作品を楽しむには時間があまりにもすくなすぎた。
プレゼンと打ち合わせはスムーズに完了し、食事のあとは時間が空いたので独り「適塾」を見学。適塾は緒方洪庵が開いたというくらいの知識しかなく寺子屋の一つかなと思っていたら、実はオランダ語をおしえた塾であり日本の文明開化に大きな足跡をのこしたということ、塾生に大村益次郎、福沢諭吉、橋本左内など人材をそだて、実は大阪大学の前身だったと知った。 有名な解体新書や蘭語辞書などがあり、当時、それを囲んで青雲の志を抱いた青年がその場所で熱く学んだ光景が目に浮かんで来た。
適塾二階、ここで150年前若者が蘭学を学んだ。
適塾の前が京阪電車の淀屋橋駅だったのでそれにとびのり京都に向かう事にした。JRの駅ではなく下車したところが四条の橋のたもとというところがこの電車のいいところだ。あてもないが京都の街は好きなのでとりあえず漬物とSIZUYAのパンを買い、近場で京都らしいところに行こうと祇園を入ったところにある栄西(ようさいと読むのが正しいらしい。)ゆかりの建仁寺にいくことにした。前回は時間切れで見られなかったので今回は中に拝観した。すこしの時間だが庭をみながらゆったりした気分にひたることもできたし小泉淳作さんの双龍の天井画はとても迫力があった。
建仁寺の庭
双龍図
夕方は上飯田にある「志ら玉」で名古屋の業界団体の新年会兼決起大会。友人のseijiがご主人と同級生とのことで予約をしてもらい6年ぶりの「志ら玉」をとても楽しみにしていた。茶事で有名な「志ら玉」は豪華さを誇る訳でなく枯れた日本家屋の味わいとお茶のこころでのしつらえ。初春の香りのある料理はとてもすばらしかったが昨日は特に「名古屋甚句」御連中が花を添えてくれた。
われわれが住む名古屋はもともと由緒正しい町名がついていたが30年前、錦、丸の内、栄、泉など味わいの無い新しい町名になってしまった。名古屋甚句の一節ではこうある。
宮で熱田の二十五丁橋で 西行法師が腰をかけ 東西南北見渡して これほど涼しいこの宮を
たれが熱田と 名をつけた トコドッコイドッコイショ
花の名古屋の碁盤割りは 都に負けない京町や 極楽浄土の魚の棚 七珍万宝詰め込みし
大黒殿の袋町 広小路から見渡せば なかなかとどかぬ鉄砲町 しだいしだいに末広の
家並みはつづく門前町 さても名古屋の繁盛ぶりは トコドッコイドッコイショ
名古屋甚句御連中
お正月の前菜
お造り
蒸しずし
ブリの焼きもの
志ら玉名物 とろろ汁
御懐石 志ら玉