仕事が終わり、栄三越に立ち寄ってそこからサカエチカに階段で降りてみた。ふと見ると古い車が何台か置いてあったので日産ギャラリーに立ち寄った。昔人気があった「Be-1」「スカイラインGTR」が展示してあったのでしばしその時代の事を思いながらふと看板をみるとこの連休で日産ギャラリーを閉鎖するとのこと。44年つづけたんだそうだから僕が10才のころからやっていたこととなるので1968年頃だろう。すべての存在には終わりはあるとういうことは分ってはいるけども、サカエチカに日産ギャラリーはずっと存在するものだと思い込んでいたので無くなるという看板をみたときにはほんとうに落胆した。名古屋のど真ん中にあるものが無くなるので栄という街に暮らしている私だけの寂寥感ではあるまい。サカエチカは大理石張りの床とどこかリッチなテイストのあるクリスタル広場をもつそれまでの栄の地下街よりグレードの高い地下街としてオープンした。私の親戚のお茶屋さん妙香園も出店していたのでことさら親しみもあった。その真ん中に君臨したのが日産ギャラリーだった。どうやって車を地下街に入れるかというのもなんどか話題に上ったこともあった。
以下wikipediaから転載
広小路通地下のサカエチカ最西端は栄町ビル(名古屋国際ホテルが入居)の地下駐車場と段差無しで繋がっている。サカエチカ内に入居している日産名古屋ギャラリーの展示車両を入れ替える際には、この駐車場から人力でギャラリーまで搬入・搬出している。なお、日産ギャラリーは2013年5月6日をもって営業を終了する予定。
今でこそあまり車の事には興味は無いが子供の頃は父親にねだって吹上展示場にモーターショーを見に行ったりしたクルマ少年だったぼくは日産ギャラリーに通いつめて新車たとえばフェアレディZなんかをそれこそよだれでもたらさんばかりに眺めていたものだった。そして中高生のころは日産ギャラリーといえば待ち合わせ場所のメッカで女子校の生徒と日産ギャラリーの前で待ち合わせるのがおおげさにいうと当時の「人生最大の目的」であったことはまぎれも無い事実である。今は携帯やメールがあるがそのころは親御さんにいやがられながらやっと手にした電話番号に電話をしてなんとかアポをとっていたはずである。当時日産ギャラリーにはラジオのサテライトスタジオもあり、有名人もよく訪れた。売り出し中の新人だった荒井由実(現松任谷由実)もここでキャンペーンをやった際、同級生のセ○ワがステージにのぼりご本人に抱きついたという武勇伝はそのころ学校でもちきりだった。そのこころ土日にサカエチカを歩くと顔なじみの金城や南山の女子校生に出会ったりするので意味も無く何度も往復したことを思い出す。思い出の中のいちページにかならず顔を出す場所だったのでその閉鎖はとてもさびしいし哀しい。嗚呼44年の年月よ。
GTRとBe-1
レースカー
ああ44年かあ。
この看板もあと10日ほどではずされる。ゴーンよ、これが合理化か?
クリスタル広場から見る日産ギャラリー 。どうやら初期に作られたクリスタルとは違うようだ。