COVID19の猛威が日本全国にひたひたと近づいてきています。いつもはにぎやかな夏物シーズンまっただなかのオーダーサロンタナカですが今は静まりかえった店(=家)の中でひきこもってデスクの上のパソコンに向かってブログをしたためています。このブログをごらんの方は、とにかくご自身の健康維持を第一にお過ごしくださいませ。
このたびCOVID19の被害が甚大なイタリアでも最も被害がひどいのは北イタリアのベルガモと言われています。8年前、ピッティウォモに行く前ひとりでベルガモへ小旅行をしました。わたしの思い出の中のベルガモは美しく「清潔」で「清楚」な印象の街。こんな美しい場所で死者が多すぎて火葬場が不足となり、軍が出動したということでCOVID19がいかに恐ろしい感染病かわかります。もう一度申し上げますが、皆様のひとりひとり個人の健康維持を徹底していただきたい。そんな思いを込めて今日はベルガモのおもいでをこころに残していたイメージを思い出しながら書いてみます。
「2012年6月」
6月になっても夏物オーダーが忙しく、この年のピッティウォモ出張にはひとりぼっちで3泊5日、いわゆる弾丸で行くこととなる。羽田から深夜12時発のエールフランスとJAL共同運航便に乗り、シャルル・ド・ゴール乗り換えでミラノに着いたのは朝9時だった。冷夏の日本を発ち、飛行機、空港内ではエアコンがずっと効いていたのでわからなかったがリナーテ空港から外にでるとむっと熱気が襲う。ミラノの街にある電光掲示板には32度の文字、やはりいつもの暑いイタリア。
次の日の早朝フィレンツェに向かう予定だったのでこの日は知らない街に行ってみようと、ミラノ近郊の街、ベルガモへミラノ中央駅から向かったのは午前11時半。ポー平野のなだらかな車窓を楽しみながらベルガモの可愛い駅には50分で着いた。
右も左も知らない街に着いた時のめまいのような感情は嫌いじゃない。ベルガモの第一印象はとても清潔な街で大通りが駅から伸びて、右側にガラスでできたインフォメーションセンターがあった。つたないイタリア語で街の概略を聞く。チッタバッサ(低い街)とチッタアルタ(高い街)がありそこをつなぐのはフニコラーレ(ケーブルカー)だとのこと、フニコラーレ(ケーブルカー)乗り場まで15分ほど歩く。このあたりはちょっと無機質な官庁街かも。
日本だとフニコラーレ(ケーブルカー)は観光地の乗り物だがイタリアではバスや地下鉄のような市民の足だ。昔エトルリア人は敵からの攻撃を避けるため高い場所に住んだという歴史背景があるから高い場所にも街が広がることがイタリアではよくあるからフニコラーレ(ケーブルカー)が使われるのだろう。
古式ゆかしいフニコラーレに数分ゆられ、着いたチッタアルタ(高い街)は近代的な駅周辺とは違う教会や古い建物がならぶ歴史的地区。歩いていてもとってもいい雰囲気。しばらく行くと石造りの建物に囲まれた広場に出る。広場は平日だからか人はすくなくキリコの絵のようだ。気のせいか下の街よりは涼しい。散策しながらたぶんここがベルガモでいちばん大きいだとおもわれる教会を見つけの中に入ってふと空腹に気づく。この街でどこが美味しい店か情報はまったく無い。広場に沿った店が開いていたので入る。中には客はすくない。なにを食べたのかは覚えていないが、遠い記憶のなかの料理は美味しかった。