1月2日の朝、シモちゃんがオープンカーの天井を開けて我が家に迎えに来てくれドライブに出かける。
目的地は友人スギハラが住職をつとめる知多の名刹、妙楽寺。名古屋高速,伊勢湾岸道をつかい道もすいていて30分くらいで到着。スギハラに妙楽寺さんの客殿、弘法堂、本堂に案内してもらう。真言宗の寺院はいろいろな仏像や護摩壇などもあり荘厳。堂内を案内してもらい、その後、朝倉のコメダでお茶をすする。私はコメダに行くと身体が冷えるのでホットコーヒーしか頼まない。でも甘い飲み物が好きなシモちゃんはアイスティ、スギハラはアイスコーヒーと男三人集まってもバラバラ。よのなかは趣味趣向が違う人々が折り合いを合わせて暮らしているなあとおもうお正月。せっかくお正月に妙楽寺さんに来たのだから「南無大師遍照金剛」の幟(のぼり)を山門の前に立ててもらう事にした。
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知多、古見の妙楽寺の弘法様は「金弘法」
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ご住職みずからのぼりをあげていただく。

1月4日は何も予定が無く穏やかな日を過ごしている。寝正月ではつまらないので、普段は栄で買い物するとすることが多いが自転車に乗って名駅に出かけた。名古屋駅周辺、通称名駅の地下は栄の地下とは違い混沌とした雰囲気。栄の地下がタテとヨコの通りが基本となって比較的シンプルな構造に対して名駅地下は網の目のように道がおとって複雑な構造になっている。最近は「名古屋飯」ブームで、(似非?)名古屋飯というとミソカツとか海老フライと揚げ物。地下街のなかは換気も決して良くないため揚げ物のにおいがどこにいってもする。少し歩いたので小腹はすいたが揚げ物は食べる気がしないでいると子供の頃良く食べたものが思い浮かんだのでユニモールの名駅側の入り口にある「廣寿司」に向かう。子供の頃お寿司と言えば握り寿司ではなく「切り寿司」だった。これは四角い型にすし飯を敷き詰め、角麩と穴子を並べ、ツメをぬったもの。当家は大須の廣寿司さんが好みで「切りだめ」という漆塗りの木箱を持っていき中に入れてもらっていた。かって大須にあった「廣寿司」とユニモールの「廣寿司」の関係についてお店の人に聞かなかったが子供の頃食べたものと同じ味だと感じた。
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子供の頃の寿司といえばまちがいなくこの「切り寿司」だった。

私は名古屋の車道にある私立中学に通っていたがこの学校には市外からも大勢の生徒が通っていたので彼らは名古屋駅を利用していた。わたしは通学には名古屋駅は関係なかったが学校が終わった後、市外の同級生にくっついて名古屋駅にいき地下街を徘徊した。お嬢様学校で有名な金城の生徒もよく見かけ、胸をときめかせたもんだった。お金があるときはナポリという店のアイスクリームを食べたり、名鉄セブン地下のメゾンドフランスにもいった。お金持ちの友達にチロルという店で初めてピザをおごってもらったときはそのあまりの旨いようなくどいようなめくるめく味に驚愕したものだ。スギハラに羅生門というカレーハウスでカレーをごちそうしてもらったとき上からかける生卵には驚き、それからしばらくの間カレーには生卵が定番となった。
まだ羅生門あるのかなと探してみたがやはりなくなっていた。でも当時、知り合い金城の子が好みだったテルミナのお好み焼き屋「たんぽぽ」が健在で人が行列しているのを見てすこしうれしくなった。行列はきらいなので入る事はなかったが。
結局、2時間ぐるぐるまわって買ったのは、新年の仕事始めに気持ちよく書き仕事をするためにボールペンカランダッシュの替芯だけ。でもいつも住んで暮らしている街と15分しか離れてないとはいえあまり行かない街を歩くと小さな「旅」をしているような気分になった。
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タワーズ12階から澄んだ空気のむこうに雪山が見える。
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タンポポまだがんばってたんだ。