55才になった日の朝を迎えた。55という齢の数の多さに愕然としている。もう17になったのか、もう35になったのかというのと質的な違いすら感じるこの数字。まだ45くらいなら余裕を持ってみられたかもしれないが55の前には逃げることが出来ない重い現実がある。あとどのくらい仕事できるのか、あとどのくらい生きられるのかという誰にでもつきまとう「終わり」ということをこの数字は露わにくれる。そういうことを感じずにこの数字をみることはできないだろう。終わりを考えると言ってもリタイアして遊んで暮らす夢はいまのところ持っていない。やはりぼくは本質的に仕事が好き。仕事しているからアソビが楽しい。仕事をしているから休日はパラダイスになる。まだそんな経験はないが365日ずっとアソビだったら楽しくない気がする。この前実は本当に久しぶりに風邪を引いて、朝、店を開く時間になっても身体が言うことを聞かずに起きることができなかった。何時間かふせっていたが無理矢理起きて、店にでたらすこし気分が良くなりそれから快方にむかった。仕事をして直ったようなものでふとんでは休んだ気にならない。つくづく仕事が好きなんだなと思った瞬間だった。そんな仕事好きなぼくだからこれからも終わりを意識せずにずっとがんばろうと思ってはいます。そんな55才の朝7時半。

22で洋服屋になり、最初はただの若造だった。馬の骨だった。その頃は洋服屋になろうとする若者なんてほんとうに誰もいなかった。それから十何年まわりには先輩ばかりで同僚とか同年代の洋服屋など誰もいなかった。35くらいまでずっとひとりぼっちの若手テーラーだった。はじめてテーラーになりたいという若者を見たのは20数年前御幸毛織主催の旅行で出会った大阪ビスポークテーラーDMGの小西君だった。それからロロピアーナ社の旅行では鹿児島三洲堂の福留君としりあった。彼は年下だが年もそんなは違わないためはじめてあった「同僚」という感じはした。それからセレクトショッの台頭、メンズEXなどによるちょっとしたビスポークブームがあって洋服屋やテーラーをめざす若者を見るようになって来た。この前まで若手だと思っていて気がついたらもうぼくはベテランテーラーになっていた。
誕生日について
ぼくらの周りの友達同士で誕生日を祝う習慣はない。ひとによっては誕生日といってプレゼントを贈ったりパーティめいた飲み会をしたりするのがすきなひとがいるが僕はそうではない。シモちゃんともノダともサノともヒシダともフクヤともスギハラともみんなそうで誕生日すらしらない。あんまりお祝いしたりしないのも実は気が楽で好きだ。毎回誕生日のプレゼントやイベントを考えるのは骨がおれる。 そう言ったらからりとしたつきあいっていいと思っている。この世に
人として生を受けたことにつて本当に良かったと思っている。それはそうだが、まあ誕生日会がなくても楽しい日々を送っているということかもしれない。

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僕の大大大好きなカキフライ。誕生日に作ってくれた。メルシャンのシャルドネの名品、萌黄とともに。