3年前のお盆休み、青春18切符を使って高野山に行き宿坊でひとり泊まりじっと自分を見つめたことが忘れられなかった。また母が今年は亡き祖母の50回忌があるから永代供養をお願いしている高野山常喜院さんに行きたいと言っていたので、このお盆休み、母とふたりで行くことにした。76才の母を連れてなら、安いけど普通しか乗れない青春18切符というわけにいかないので朝7時ののぞみ指定をとって新大阪、そして地下鉄でなんばまで行き、南海電車の特急こうやで向かう。橋本からは単線できつい上り坂をのぼり、極楽橋でケーブルカーに乗り換え高野山口、そこからはバスで高野山まで。高野山は800mを越える山なのに、まるで町のような景色がひろがる。多くの宿坊を兼ねる塔頭が大塔を中心とした壇上伽藍から奥の院まで軒をならべている。 そのなかの一つ、中心に近い場所の大円院をネットでさがし宿に決めた。

お盆の時期は死者が戻って来ると言われる。 いったん亡くなった人の肉体は二度と戻らないしその意識にしてももう消えてなくなってしまったとは思う。でもお盆になると亡くなった人についての過ぎ去った記憶が蘇るのは間違いない。 お茶屋の妙香園の長女に生まれた祖母は当時最新の仕事だった紳士服地商を営んでいた祖父に嫁いだ。熱田区沢上で最初店を開いたが、商売は上(カミ)でしなくてはいけないと当時名古屋でも一番いい場所だった今の錦三に移転した。商売が大好きできっぷがよく誰からも愛された。仕事が終わった後、取引先と毎晩麻雀をしていた。また子供のころの僕をとてもかわいがってくれ、出来たばかりの東海道新幹線にも乗せてもらったのをよくおぼえている。その祖母が膵臓がんで倒れ、ふとってがっしりした身体が半年でやせ衰えてまだ若い55才で亡くなった。祖母がなくなってからまだ当家にヨメに来て数年しか経っていない20代の母は一年間泣き続けていた。50回忌だということはそんな日々から50年過ぎてしまったということ。祖父は祖母を亡くした後、浄土真宗お西の旦那寺だけでなく宗派の違う高野山の常喜院さまにも永代供養をお願いしたらしい。そして祖父も父もなくなり、母としては無事50回忌を迎えたということは肩の荷をおろしたようなほっとした気持ちなんだろうと思う。高野への旅のあいだ中、そんな田中の家にまつわる昔話をずっと聞いていた。だからその二日間はずっと死者の思い出とともに過ごした気がした。

高野山はお盆で混み合っていた。世界遺産だから外国の方も多い。イタリア語が聞こえて来たので女性2人組に話しかけたらパルマからいらっしゃったという。彼女らの目には弘法大師が開いたこの宗教都市をどのように見たのだろうか。 

今回泊まった大円院は平家物語で語られる滝口入道と横笛の悲恋の舞台となった。また今、NHK連ドラ「花子とアン」白蓮もここを訪れたことがあるらしい。連ドラが好きな母はとても喜んでいた。宿坊でいつも飲むアルコールも止め、精進料理をいただきほんの少しだけだが汚れた身体が清められた気がした。朝6時からの本堂でのお勤めにも参加し、お坊様の説法を聞き仏の心をお教えいただいた。 ロープウェイを降りて下界に戻ったらいつも通りの生活が戻る。でも南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、1200年前衆生を救うため唐の国に渡った弘法大師のお姿はいつもぼくの財布の中にとどめている。いつか仏の心になることを夢見て。
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祖母の永代供養をお願いしている常喜院。金剛峰寺前
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大師教会前でイタリア人旅行者と
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奥之院、御廟橋まで弘法大師に迎えていただき、御廟橋までおおくりいただく。そのありがたさに手を合わせる。
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大円院、朝すばらしいご説法をいただいた御坊様と母。
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常喜院での50回忌と回向をすませ記念撮影。
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金剛峰寺のお庭。