マルタ島がいったいどこにあるかご存知ない方もいらっしゃると思う。そんなマイナーな島、マルタはイタリア半島、長靴が蹴っているの石の部分、シチリア島のすぐ西90kmに位置する。マルタ島ってイタリアだと思っている方もいるがれっきとした独立国のマルタ共和国である。ヨーロッパの田舎ではあるがヨーロッパ一の人口密度で観光だけでなく農業、工業も盛んで1900名を擁する軍隊だってある。公用語は英語、マルタ語。イタリアに近いためイタリア語も通じる。EUに加盟して通貨はユーロだ。
そんなマルタに先日出張のついでに立ち寄った。われわれ夫婦はカラヴァッジョファンだがマルタには2枚のカラヴァッジョそれも最高傑作のひとつと言われる絵がある。カラヴァッジョは絵画の天才でありながら殺人者でもあることは有名だが、ローマで決闘の際に殺人を犯し死刑宣告を受けてナポリに逃亡、その後マルタ島に逃げた。 当時の騎士団長ビニャクールに庇護を受け、「聖ヨハネの斬首」を描いた。そしてビニャクールを描いた「聖ヒエロニムス」とともにこの二枚は首都ヴァレッタの聖ヨハネ准司教座教会にある。その二枚の絵に引き寄せられてミラノリナーテ空港からマルタへ飛び立つ。
ミラノからマルタ空港はたった1時間40分のフライト。まだ見ぬ地シチリアを下に見て、ゴゾ島、コミノ島の上空をへてマルタ空港に降り立った。 空港から首都ヴァレッタまではタクシーで15分ほど、ヴァレッタ対岸の盛り場スーリマに宿をとった。ホテルの部屋にはいると美しい城塞都市ヴァレッタを地中海越しに眺めることができてなんだか感激。
翼の下はシチリア
地中海越しにバレッタの街
それから海岸に散歩にでかける。海岸通にはクルーズの客引きがたくさん居る。彼らに聞くと午後にはバレッタの湾内のクルーズしかないそうだ。ひとり15ユーロ払ってフォークの先のような形をしたバレッタ湾を観光船でクルーズ。船の上で涼しい風を浴びてぼーっとしていると遠くまで来てしまったという気持ちが湧いてくる。クルーズのあとはスーリマから対岸のバレッタにフェリーで渡る。土曜日の夕方は店も早く閉まって古い都は静寂に包まれている。クルマも通れない急な坂もありそしてその道の果てには海が見える。夜はネットで見つけた土地の料理を食べさせるお店でマルタ料理を堪能。
スリーシティズ
オスマントルコなど敵からヴァレッタを守るための深い堀
ヴァレッタ入り口の広場
ヴァレッタの通り、坂道の向こうに海が見える。
バレッタの通り
二次大戦の慰霊碑越しにスリーシティーズ
ヴァレッタを眺めながらのプールもあったりして。
スーリマ海岸通りにはオシャレなコーヒーの屋台が
夕食はマルタ名物タコの煮込み
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次の日スーリマの海岸通には隣の島のゴゾ島クルーズの案内の客引きが朝からたくさんいたが、せっかくマルタ島に来てマルタ島をめぐらずに隣島にいく手はないなと思い客引きにはのらずタクシーを飛ばしてマルタ島内にあるブルーグロット(青の洞窟)に向かう。残念ながら風が強く波が高いため青の洞窟まで行く小舟は運行中止。ならばそこで海水浴でもとしゃれこんだが、波高く足の付かない岸辺を離れること出来ずすぐに断念。海水浴に慣れているのか波打つ水面にプカプカ浮くヨーロッパの人たちをただただ羨ましく眺めるのみ。その後、ヴァレッタ以前の首都で首都で失くなってからもそのままの状態で保存されているいわば死の都でもあるイムディーナにでかける。観光客と土産物店か料理屋しかないキャメル色の城壁内の街は生活臭は全く感じずちょっとイスラム都市のようでもあり不思議。となり町のラヴァトには囚えられた聖パウロが難破してマルタに流れつきしばらく住んだ洞窟がありそこがセントポール教会になっている。そこで当時のマルタの提督の父の病を奇跡で治し提督は深いキリスト教信者になったという伝説がある。まさにそんな伝説や聖遺物がそのまま街になったような空気だった。
この入江からマルタ版青の洞窟に向かう。
でも海は荒れ気味
ボートは撤退。ほんじつ洞窟巡り中止
マルタのコーラ、キニーを飲んで一休み
足がたたないところでプカプカ浮くことは慣れていないので、無理!
古都イムディーナを囲むお堀
イムディーナの入り口
イムディーナの街
イムディーナは高台にある。
誰もいない蜂蜜色のイムディーナの小径
ラヴァトの聖ポール教会
聖ポール教会地下のカタコンベ
パウロが住んだ洞窟
どこか異国風のラヴァトの街。マルタの家は2階に出窓がある。
二泊してミラノに帰る日の朝、お目当ての聖ヨハネ准司教座教会(英語名セント・ジョンズ・コーカテードラル)に行く。外側ではわからない豪華なバロック教会の床はヨハネ騎士団の墓が貴石によって作られている。天井には聖ヨハネの一生の物語がマルタ産の石の上に油絵で書かれている。そしてひとつの礼拝堂にカラバッジョの二枚の絵が置かれている。ここは写真撮影厳禁だ。大作「聖ヨハネの斬首」は兄弟の妻との婚姻を洗礼者ヨハネにとがめられたヘロデ王、妻の娘サロメの舞を褒め、褒美になんでもやると言われ、ヨハネの首を所望しヨハネは首をはねられた物語のその瞬間を絵にしている。非常に凄惨な絵ではあるがブラウン色の濃淡で書かれヨハネの首から流れ出る血のみ赤いこの絵は思いのほか静謐でまるでヴァレッタの夜のようだった。
絵は画像や印刷には存在しない本物だけが持つエナジーがある。世界の至宝と一瞬でも同じ空間にいる幸せを深く感じた。
聖ヨハネ准司教座教会、上のカラバッジョの絵はコピー
聖ヨハネ准司教座教会の床は騎士たちのお墓で埋め尽くされている。
豪華なバロック教会である聖ヨハネ准司教座教会
サン・ピエトロ大聖堂にあるような螺旋状柱