ヴェネチアの朝

ヴェネチアでひとり彷徨う

ヴェネチアはかねてから訪問したい場所だったのでその日は団体での観光から離れ、自分の脚で歩くことにしました。迷路のような道を歩きサンマルコ広場からアカデミア橋、リアルト橋までたどり、またサンマルコ広場に戻ってドッカーレ宮殿に行きました。
その頃はイタリア語の知識ゼロで、宮殿の入り口がわからず、どうやら誤って出口から入ったようでした。ガイドブックを持って行きましたが逆から入ったので頭が混乱したのを覚えています。ヴェネチアの交通手段ヴァポレットに何回も乗りましたがどこできっぷを買えばいいのかわかりません。そして改札もきっぷのチェックもありません。ほんとはチェックはたまにありその時、船着き場にあるキオスクで買うきっぷを持っていないとしこたま罰金を取るというシステムらしいのですがそれも知りません。不安に満ちながら、どうして船に乗ってもお金をとらないんだ?これは公共の脚だからタダなのか・・・というなにも知らないストレンジャーでした。とにかく脚が棒になるほど歩き、ベネチア本島の先っぽのベネチア・ビエンナーレ会場も見に行きました。ビエンナーレやっているわけではないのでなにもなかったのですが。

冬枯れたこの公園がヴェネチアビエンナーレ会場
カナルグランデにかかるアカデミア橋。向こうに見えるのはサルーテ教会
リアルト橋にて38歳の私。
地面と水面が等しい状態のサンマルコ広場前。まだアックア・アルタほどではありません。

そういえばヴェネチアでに訪れる一週間前実は大事件が起きました。ヴェルディの「椿姫」など優れたオペラの多くが初演されたヴェネチアの名門劇場フェニーチェ劇場が火事で全焼したのです。ホテルの近くだったフェニーチェ劇場は一週間後訪れましたがまだ焦げ臭いに匂いがしました。後で聞くと原因は工事関係者の放火だったそうです。現在は世界中からのオペラファンからの寄付などがあり再建されました。フェニーチェとは不死鳥フェックスの意味。火事で焼けても蘇ったのですね。

一週間前の火事でファザードが焼け焦げているフェニーチェ劇場

ハリーズ・バーで体験したプチじごく

夜は本で読んだハリーズ・バーにと、鹿児島市のテーラー三州堂福留さんと、名古屋市のテーラー神谷さんを誘って行きました。桃とスプマンテのカクテル、「ヴェリーニ」「カルパッチョ」を発明したことで知られるハリーズ・バーはサンマルコ広場の近くにありました。入ったらすぐヴェリーニを供されていい気分。レストラン二回の部屋でカルパッチョを食べ終わる頃、ちょっと体調がおかしくなってきました。お腹が痛くなってきたのです。神谷さんは海外体験が豊富で全く問題有りませんでしたが、福留さんも同じ症状でした。吐き気と言うか痛みというか出される料理が全く食べられなくなって来ました。さすがに有名料理店でなにも手をつけないのも失礼だとおもい、食べたふりをしましたが、正直地獄の苦しみです。そして地獄の苦しみはもう一度訪れました。それはお勘定のときです。3人でたしか10万円ほど。物価の安いイタリアではありえない金額でした。持っているありったけのリラを支払い、やっちまったなぁ~という気分でヴェネチアの街を痛いお腹をさすりながら歩いた記憶。ただこういうバッドな経験も過ぎてしまうと素晴らしい宝に思えます。そして薬を飲んでも治らなかった腹痛は、あるテーラーさんからいただいた使い捨てカイロをみぞおちに貼って横になると嘘のように直りました。摂氏零度近いイタリアをずっと歩いたのできっと身体が冷えていたのでしょう。

ハリーズ・バーにて中央の神谷さんは元気ですが私はダメージがある顔をしています。

ヴェネチアの街ホテルを朝早くでて、ホテルの前で待っていたモーターボートに乗り、バスを止めたヴェネチア本島の入り口のローマ広場までモーターボートで戻ります。ロロピアーナのスタッフに聞くとこのモーターボートの費用がひどく高いとのこと。しかしこのボートから見た景色は忘れられません。ヴェネチア本島は近代建築が一つしかなくほとんどすべて300年ほど前のままです。カナレットの絵と全く同一の景色が目の前に現れます。朝もやに煙る17世紀の人が見たのとおなじ景色を見る感動は25年経過しても忘れられません。

ボートからのヴェネチアの眺めが忘れられません。