今週フィレンツェで開催のピッティイマジネウォモに行けないのが残念ですが、そんなメランコリックな気持ちをキーボードに乗せ、25年前初めてイタリアに行った日の思い出を書いてみましょう。

ロロピアーナ社のご招待で初めてイタリアに行きました。

1995年の初旬、ロロピアーナが日本の有力なテーラーをイタリアに招待するという企画があり、幸いにも私も総勢20数名の一人に選ばれました。しかしその頃、体調を崩していた父の病状は日増しに悪くなってきました。父はかねてからイタリアメーカーとの直接取引を願っていて、意識あるうちに自分がどんなことになってもイタリアには行くようにと口にしていましたが、父は残念ながら年が押し迫った12月9日に亡くなりました。そしてイタリアへのはじめての旅は年が明けて2月4日から。父の四十九日法要の直後。不安を胸に、当時まだ存在した小牧名古屋空港から成田まで行き、招待されたテーラー全員が集合して、アリタリア航空でミラノまでのフライト、ヨーロッパまでの旅がはじめての私にはフライトの13時間がまるで永遠であるかのような長い時間に感じました。

ついたのは夕方のミラノ・マルペンサ空港、初めて踏んだイタリアの地は、陽気なトマト&バジルの原色ではなく、その頃の自分の心模様を反映したのか寒く無彩色のグレー色で暗かったとの記憶。バスでミラノ中央駅前の高級ホテル、エクセルシオールガリアには午後7時過ぎ。目の前に灰色で巨大なムッソリーニの遺産でもあるミラノ中央駅がそびえていました。ホテルでイタリアではじめてのイタリアンに気分は高揚。食事の後、イタリアに慣れている一人のテーラーがわたしのようなイタリア初心者を連れてドウオモ広場にタクシーで連れて行ってくれました。ミラノのテーラー達について話てくれましたがすべてが初めて聞く名前でした。彼は50回以上ヨーロッパに来ているとそのとき知り、わたしも名古屋の田舎テーラーを脱して、これからイタリアに通い、知識を増やさねばと心に決めた夜でした。

イタリアで食べたはじめてのイタリアン。エクセルシオールガリアにて。

ロロピアーナの本社にてセルジオロロピアーナに面会

イタリアでの初めての朝、バスでピエモンテ州ビエッラのロロピアーナ本社に向かいます。高速を降りて道を走りながらの車窓から見たの小さな教会が建つ田舎町、すてきなところですねとロロピアーナのスタッフに行ったらこんな場所はイタリアには何千とあると言われそんなものかとびっくりしました。途中、アニオナやら、コロンボなど知っているメーカーの脇を通りながら川に沿って走り、クアローナロロピアーナ本社に着きました。

雪が残る中ロロピアーナクアローナ本社到着
クアローナ本社工場の渋い看板
中央がセルジオ・ロロピアーナ

近代的でミニマリズム建築の本社管理棟2階の会議室に行くとすぐカンファレンス。そして世界のファッションカリスマとして知られたロロピアーナの社長、セルジオ・ロロピアーナにテーラー全員で面会しました。そのとき彼のオーラがとても強かったのを覚えています。普通は社長と握手写真くらいとりますが、威厳がありすぎてまったくそういう雰囲気でなかったことを覚えています。近くのイタリアンから運んだ珍しいパスタをいただいたりヴィキューナのコート地をはじめて見たり、貴重な限定品も見ました。

ピエモンテ州ビエッラ、セジア川に沿った場所にロロピアーナ本社工場があり、そこで多くの織物が生産されるのを見学。そして川のもうすこし上流に行くとカシミアコート地と研究所のあるロッカピエトラ工場。ロロピアーナは当時はまだ日本ではあまり知られているとは言えませんでしたが25年前でも世界では最高品質のカシミアを生産する工場として知られていました。その工場がロッカピエトラ工場。ロロピアーナのスタッフに聞くといまでは制限が厳しくなりテーラーやバイヤーが工場見学することはなくなったそうです。ですから今では貴重な生産風景を見たことになります。その工場内でたいへん高価なカシミア原毛が山と積んであり、巨大で最新鋭の設備で高級な織物を生産していました。驚いたのは複雑な機械で毛織物を染める染料を調合していました。ロロピアーナ社は原毛から服地までの一貫生産ですので日本では染色工場がおこなうこの作業もすべて一つの工場内で行われているのです。本社工場内でロロピアーナ社当時のNo2、ピエールルイジロロピアーナも忙しそうにオフィスを行き来しながら働いていました。

中国から送られた高価なカシミア原毛のベール(俵)
織り工程
アザミと称されるラシャカキグサでカシミア織物を起毛させる工程
美しい織物になるフィニッシング工程 

そしてその後マッジョーレ湖畔のストレーザのグランドホテルで一泊。夏にはにぎわう山と湖の観光地ストレーザですが枯れ葉舞い散る冬のリゾートは人もいない死んだような街でした。

3日目はロロピアーナで有名テーラーによる指導

ストレーザからクアローナのロロピアーナ本社に戻り、この日は地元の有名テーラー、バルベリスさんから技術指導を受けました。彼はご子息たちがロロピアーナで働き、VBCとも親戚だとか。のちに長谷川喜美さん著「サルトリアイタリアーナ」の冒頭に彼の記事が載っていたのにはとてもうれしく、そして懐かしい思い出が蘇りました。ロロピアーナの社長をはじめスタッフがこぞってバルベリスさんによる仕立てを依頼するため、3,4年先まで仕事でいっぱいとのことでした。

右がサルトリアイタリアーナ バルベリスさん

本社工場の片隅にイタリアではスパッチオと呼ばれる工場付属のショップがありロロピアーナ製品や服地のを売っていました。現在、世界のセレブが愛用するとびきり高価なロロピアーナ製品ですが、さすがに地元民むけの店で案外リーズナブルな値段だった記憶があります。そこで買い過ぎてしまい、すごい荷物になってその後の長いツアーに影響がでました。

そしてバスはヴェネチアへ

テーラー達を乗せたバスはクアローナのロロピアーナ本社からヴェネチアへ向かいます。電車と違いバスの旅は長い。日も暮れたのちヴェネチアと本土をつなぐ橋を渡り着いたのがローマ広場。イタリアでは各地にローマ通りとかローマ広場とかあります。それは日本の甲州街道と同じでローマに向かう道ということ。ヴェネチアのローマ広場はバスターミナルと駐車場。ここからモーターボートに乗って運河を巡りヴェネチアの中心地サンマルコ広場近くまで。そこからヴェネチアの小路を闇の中歩いてホテル、エウロパ&レジーナへ。小さい部屋でしたからさぞかし安いだろうと思ったら、一泊5万〜7万ほどするホテル。ロロピアーナ社が招待するときは贅沢ですごいぞと聞いていましたが、イタリアで泊まったのはすべて街でトップクラスの高級ホテルでした。ヴェネチア行きは楽しみでしたのでワクワクしながら眠りました。

着いたのは闇の中 ベネチア
ベネチアの朝