今日は10月初めの日、母は雨が降る朝は墓参りに行きたくないとのこと。かわりに里帰りしていた関東に住む妹親子が付き合ってくれました。父親やご先祖様もさぞかし喜んだはずです。
例年より一月遅れましたが、本日よりウールのスーツを着てネクタイを締めてご接客します。革ベルトの時計も今日からです。
25歳。定山渓で
先週、小樽工場での打ち合わせは一泊となり、小樽の朝里から山を越えた定山渓で宿をとりました。わたしはこの仕事に就いて43年になります。25歳のころは今とは違ってオーダーサロンタナカもお客様は少なく、どうやってお客様にオーダーをいただくかほんとうに悩んだものです。
あるお客様のお宅に訪問したところ、関係している化粧品会社が北海道で全国大会を開くのでそこに来なさい。そこで幹部何人かにスーツを仕立てる。そしてあと社員が百人以上いるから舞台の上からタナカさんのチカラでどれだけでも営業していいから洋服の注文をもらいなさい。そんなオファーをいただきました。その全国大会の会場が定山渓温泉の大きいホテル。まず北海道ははじめて、そして国内線の飛行機に乗ったのは初めてでした。千歳に降りたのは11月始めの頃で定山渓までの道の脇に雪で行き倒れになっているクルマを何台か目撃し、北海道の冬は厳しいものだと実感しました。そして定山渓のホテルの会場に着き、部屋をあてがわれ、幹部の寸法をとりました。そして大ホールで行われた全国大会の舞台にあがり時間を与えられ、震える足と小さな声で宣伝をしたのですが、そんなことで誰もオーダーなんてしてくれるはずもありません。ホテルの中で立派そうな人にだれかれなく弱々しく声を掛け、なんとか2人くらいオーダーいただいたでしょうか。それでも奇跡的です。人生まだ暗中模索のどこに行っていいか分からない頃。つらく苦しい北海道、札幌定山渓の思い出。定山渓からどうやってひとり札幌市内まで帰ったのかも覚えていません。すすきのまで歩いてラーメン横丁で食べた味噌ラーメンがことのほか濃厚だった記憶が残っています。
ただそんな苦しい時期があったから、それからの長い時間でテーラーとしてのスキルも身につき、現在があるのでしょう。ひとりのお客様を大事にする、そして一着のオーダースーツに心をこめられる。そんなこともできるようになったのかもしれません。25歳の自分を思い出す定山渓の夜でした。
65歳。卒業証書の無い人生を振り返る。
昨日ウェブを見ていたら京都の私立芸術大学でiPadで受ける通信制学部があるとのこと。学費も年間17万円からだそう。わたしは千葉の外語系の大学に行きましたが、最終学年に当店の前身であるテーラーに服地を卸す父の経営の会社が立ち行かなくて会社整理をすることになり、学業を全うすることができませんでした。ただ生きることで精一杯だったので、苦しみなどその時全く感じていませんでしたし、正直な話、むしろセールスポイントくらいに考えていました。ただ息子や娘が大学を卒業する姿をみるとほんのちょっとうらやましい気持ちにもなったのも事実です。
その通信制学部は過去の単位は認められ、3年から編入でき、がんばれば2年で大学卒業の資格を得られるそうです。好きなアート系大学で65歳から大学生になるなんてちょっとワクワクして興味が湧いてきました。若くてバカだった大学生のころはともかく今は学ぶことは大好きです。京都でのキャンパスライフ、充実した教授陣、若い人との学びというのも魅力的。サイトを調べたり、電話で問い合わせたりしてみました。
でもふと考えると、いまでも、おかげさまで日本はもとより、ヨーロッパ、アメリカなど世界の美術館に訪れ本物の芸術・アートに触れています。美術書も多く読み、徐々に知識は増えています。大学に行ってアートを学ぶのもいいですが、自由にアートを楽しむ今のスタイルそのままでいいんじゃないのかなと思い直しました。
大学の卒業証書なしでも65歳までおかげさまでなんの問題なく生きてきました。いま自分にないその卒業証書を取りに行っても悪くはないかもしれませんが、無くてもべつになにも支障はありません。卒業できなかったのはキズかもしれませんが、じつはそのキズがあったから、たとえばアートや外国語にたいして貪欲になった部分もあるのかなと。そんなことでやっぱりその通信制大学はあきらめました。ワクワクした数時間でしたが、あらためて我が人生を振り返る貴重な瞬間でした。キズや苦しい思い出があることは決してわるいことではありません。苦しんだ経験で人は強くなれるかもしれないのです。