台風のあと猛暑が来ると言うので、母を連れて白馬まで一泊二日の避暑に出かけることにした。朝中央高速を走り安曇野インターを目指す。高校2年つまり昭和55年頃 、原付バイクひとり旅に行った際立ち寄った禄山美術館に行く。ここは日本最初の彫刻家で若くして病に倒れた荻原守衛、号は禄山の彫刻が小さなチャペルに飾られている。45年も前の記憶では川のほとりにあった気がしたが、全然違った。
その後白馬を目指す。高校生の頃スカンピンでスキーをする余裕など我が家にはなかった。友人達が新しいスキーを抱えて白馬や八方尾根に行ったと聞くと両耳を手で押さえたい気分になったものだ。秋の誰もいないゲレンデを見ているとそんなほろにがい思い出がよみがえった。
今回泊まったオーベルジュの素敵な部屋と食事で母も大満足。チェックアウトしてクルマは名古屋の反対方向に向かって走っていく。
わたしが育った羅紗店つまり、スーツ生地をテーラーに卸す店は地方出身の従業員さんが10人以上も狭い日本家屋に我が家族と同居していた。その中の何人かは糸魚川の近く、日本海沿いの小さな村、能生の出身だった。小学校4年、昭和44生に能生、糸魚川方面に求人にいく母につきそって行った記憶がある。当時、母おんな30のみそらの一人旅より小さな子供を連れて行ったほうがまだ安全だと考えたのだろう。深夜発の高山線で朝方富山に着き、ローカル線に乗り継いでやっと着いた能生。宿は魚屋の2階で甘海老をそこで人生初めて食べた。エビって生で食べられるんだという衝撃を覚えている。せっかく白馬という糸魚川から60kmの場所に来たなら、その旅の記憶を反芻してみたくなった。能生の駅前は想像していた場所とは全く違っていたが母と二人でとぼとぼ登った坂道らしき場所は見つかった。旅は人生の記憶の原点でもある。母とともに能生にまた来ることができるとは思わなかった。