今週は水木と連休なので母と二人でいつもの山代温泉あらやさんに出かけた。東海北陸道を白鳥で降りて越前大野を抜けて通るいつもの道。山には雪が残っているが陽光は冬と違い明るくて春の季節を運転しながらも感じる。九頭竜川の谷沿いの道を過ぎると田畑が視界いっぱいにひろがる大野市に入る。この景色の変化はいつ通ってもハッとさせられる。大野に入ったら進路を右にとって平泉寺白山神社に向かう。白山をあおぐ修験道の寺として泰澄が開いた平泉寺はかって最盛期には48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成したと言われている。一向一揆で焼き討ちにあってからは衰亡して、その後豊臣秀吉によって再興されたということだ。現在は小規模な社が建つのみで往時の面影はないが近年発掘調査が進んでいるそうだ。大野からはほんの15分で着いたのだが平泉寺を解説する「まほろば館」は残念ながらお休み、なにも予備知識のないまま杉木立の中を階段に導かれるように登って行った。きけば今では苔の名所として知られるそうだがまだまだ寒い春の平日には訪れるひとは私以外誰もいなかった。そんな静けさの中で平泉寺発祥の地と言われる池のほとりに建つ。人による設えは小さな鳥居ひとつでそれゆえ山あい深い小さな池は霊気を発していた。森の中にほこらしか無い、山のいただきに向かう石の道がいにしえへの思いをかき立てるのはローマ帝国の遺跡フォロロマーノと同じかも知れない。75過ぎの母に急な石段を登れというのも酷なので途中で引き返し、下で待っていてもらい、わたしひとり一番奥の三宮まで登った。伽藍は今は何も無いが、背の高い木立で鬱蒼としている中、立派な石段があるというところがなぜか聖性を感じる。パワースポットとかご利益などにはぼくは全く興味がないが古代から人が思いをよせ崇敬した地点には何かある。そんなおごそかな気分にさせてくれる場所が聖地であると思う。ここ平泉寺はまちがいなく聖なる気ただよう場所だった。階段を上りつめ三宮と楠木正成墓所というちいさな石塔をおがみここをあとにした。
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春の光に映える九頭竜湖
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境内の美しい苔
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森にひっそりと存在する平泉寺の起源でもある御手洗池
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かっては大伽藍が林立し栄華をほこった平泉寺もいまは小さな社があるのみ。それゆえ聖性を感じる。
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白山禅定道に続く石段

大学時代の友人森川から電話があり、大野市内で会うこととなった。森川夫妻、お嬢さんとその友人と大野の美味しいおそばやさん梅林で昼食することとなり、思わず楽しいひるげになった。遠いと感じていた福井だったがここのところなんども大野通いをしているとあまり遠くには思えなくなって来た。大野は街のたたずまい、山々のながめ、古城、湧き水、造り酒屋など何度おとずれても魅力の尽きない街。今回は森川に七間朝市名物伊藤順和堂のいもきんつばを教えてもらった。家に帰って食べたらその味の極上のことったら。おとりよせしようとおもったがどうやら期間限定らしい。一期一会。
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大野にたちよって梅林さんに行かなかった事はない。福井県のそば粉しかつかわないのが矜持といえる。そしてここのおでん、好きです。

15年前に亡くなった年長のいとこ大塚勝彦氏はいつも北陸が好きだと言っていた。土地、山、食べ物、宿など、北陸は四季それぞれに魅力ある場所である。ぼくも五十なかばになってその気持ちがわかるようになってきた。その後ちかごろ定宿にしているあらや滔々庵さんにうかがった。食事、部屋、温泉がが素晴らしかったのは何度も書いているので今回改めて書くこともなかろう。
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部屋のコルビジェでひとときをくつろぐ。
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梅一輪、八寸の春。
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のどぐろの脂に浮き世を忘れる。筍と蕗味噌と。
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魯山人も好きだっただろう。鯛茶漬。