米東海岸の大学を卒業してMBAを取得してから英国ロンドン、セビルロウで修行してそれからナポリの近くのテーラーが村の人口の8割の村でマエストロのもと2年間縫製修行して現在に至りますといいたいところだがぼくの若い頃にはそんな華麗な経歴は無い。
中学生のころから親の目を盗んで東京、原宿に通ったりしていたほどの洋服好きだったのはまちがいない。大学出てすぐに今のオーダーの仕事に父と一緒についたが店にまだお客様がついていたとは言えなかったために人並み程度は苦労した。親戚や取引先をたずねて一着のオーダー頂くために地方を回ったり、役所の知り合いをまわって買うか買わないかわからない人の無駄話を何時間も聞いた日々もあった。伏見の駅前でビラを五百枚、友人にもてつだってもらって撒いたら一人のお客様をゲットして感激した日もあった。
この水曜日、紳士服地業界の全国大会で富士山周辺を観光した。じつはこのあたり富士吉田市は母方のおじいさんの出身地。この仕事を一所懸命に35年続けて来て、いまは本当におかげさまで当店にもお客様が来ていただきオーダーいただけるようになったので出張販売をすることはあまりなくなったが、20代の中頃はよく洋服のオーダーをいただくため遠路はるばる通った場所だ。
紳士服地業界の方々と乗った観光バスの窓から久しぶりの富士吉田市の街をながめると陳腐な表現だが思い出が走馬灯のようによみがえった。知り合いを頼って訪問した先でオーダースーツ屋ですがとあいさつすると、なんだ一万円でオーダーできるのかと言われ、ぎょっとになった瞬間に、若造いま顔色を変えたなとドスの利いた声で言われたつらい思い出もあった。ただ親戚のひとり、チュウさんは一生懸命知り合いを回ってお客様を紹介してくれて、チュウさんの顔でオーダーしてくれたお客様も多かった。チュウさん元気でいるだろうか。もう一人の親戚ヒロユキさんは仕事のあとに富士吉田市の盛り場月江寺のスナックに飲みに連れて行ってくれて昭和の香りいっぱいのダンスホールに連れて行ってもらったことも覚えている。あれから25年が過ぎ、そして変わらぬ吉田の街の景色を見て過ぎていった時間の短きことをあらためて感じた。
富士浅間神社
その頃は富士吉田の街はお客様の家を回るだけで観光地は行ったことはなかった。観光の間、ざんねんだが富士山は一度しか顔を見せなかったのが残念と言えば残念。とはいえはじめて行った富士浅間神社 、富士山をご神体とするここは壮麗な建築でまた神域は大木がそびえおごそかだった。
清らかな水落ちる白糸の滝
富士山の湧き水だけで滝ができる白糸の滝もはじめて訪れた。ナイアガラの滝の小規模なものか。でもマイナスイオンは沢山有った気がする。確かめたわけではないが。
本栖湖 ちょっとだけ逆さ富士
千円札のデザインにもなった本栖湖からの景色、頂上すこしだけ富士山は顔を出してくれた。
氷穴最下部にて洞窟に似つかわしくないスーツ姿。みなさんヘルメット。
鳴沢の氷穴、深さ20Mたらずだが階段を1Mおりるたびに温度が下がり一番下は摂氏零度。わたしはスーツを着ていたがツイードのジャケットかダウンが欲しいほどだった。大きい氷がごろごろしてこれには地球の驚異を感じた。ここは行くべき。