昨年6月から月に一度だけ連休をとる事にした。わたしの洋服屋人生は30年前、年中無休で始まった。年中無休とはいえ父といっしょに働いていたから交代で休みを取っていた。父亡き後、夫婦だけで店をきりもりすることになったので毎週水曜日が定休日と設定したが53才になり、月一回程度のリフレッシュも必要な気もしたので第三木曜日もお休みとした。あきないをしている者にとって休みを月一度、年に12回増やすことは売り上の減少と顧客サービスの低下につながる。でもやはりわれわれ夫婦も生身の人間、この休みの時間で英気を養いさらにいい店にできるかもと考えてのこと。
昨日のことは以前からいろいろ計画をしていてひとりで夜行バスで遠くにでかけようかとも思っていた。 さまざまな選択肢の中で選んだのは伊勢参り。毎年初詣に行くが、いつも分刻みのスケジュールでの行動。伊勢の自然を愛で、「神宮」の歴史と由来を噛みしめながらのゆっくりの旅をしたかった。月曜日に友人のノダを誘ったところ、いっしょにつきあってくれることとなった。伊勢参りと言えばスーツである。ロロピアーナタスマニアン150のブラックスーツ、長く歩くのではきなれたスコッチグレインのフルブローグの黒靴、白の120双のシャツ、お気に入りのフスコのタイを着て朝7時10分の近鉄特急に乗り一時間半で伊勢市駅へ。使ったのはバスや入場料などがセットになっている近鉄ご朱印巡りきっぷ。
いつもは一月一日の寒くまだ日の出ていない朝に暗い参道を歩くため、ほとんど何も見えていないのだが少し気温が高いとはいえ爽やかな風が吹く新緑を味わいながら歩くのはいいものだ。今年10月には20年に一度の式年遷宮もある。伊勢参りはまず豊受大神宮から。豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物を司る神。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられている。鳥居をくぐり手を清め参道を歩いて行くとほどなく本殿に。本殿の奥にもうほとんど完成した新しい本殿が垣の向こうにそれこそ垣間見える。年を経た木材で作られた建物の中でひときわ新しく最高品質の檜の建造物は神々しく輝いている。ああ今年が御遷宮なんだなあというよろこびがふつふつと湧いて来た。元旦には省略している多賀宮、土宮、風宮の別宮にも参拝する。石の階段を100段ほど登った正殿の向いの高い場所にある多賀宮は豊受大御神の荒魂がまつられている。ここを参ってはじめて外宮をちゃんと参拝したという心持ちになった。外宮入り口に新しくできていた「せんぐう館」もすばらしかった。中に御正殿の原寸大で四分の一切り取られた姿でできていて本来しもじもの者が至近距離で見る事が出来ない御正殿をみることができる。その建築方法、神宝のつくりかたなど詳しく説明があり感銘を受けた。せんぐう館の建物自体も西洋建築ではあるが神宮にあった簡素な建て方で勾玉池の湖畔に建てられていてすばらしい。
外宮から内宮「皇大神宮」はバスで向かう。まさに日本人のこころの故郷とでも言うべき内宮の神域に新緑の季節に来る事ができて本当に幸せを感じる。玉砂利を踏みしめて神域深く歩いて行く。やはり御遷宮の年というか近年、伊勢神宮参りがブームになっているのか平日なのにとても人が多い。内宮の御正殿で参拝させていただくとこの遷宮という大イベントの年に来れたことの喜びと日本人に生まれた幸せが沸々とわき上がる。内宮でも正月にはいつも省略してしまう天照大神荒魂を祭る荒祭宮と川を渡って行く風日祈宮に初めて出かけた。風日祈宮は五十鈴川を渡った場所にあり、川面からの風がとおる場所にある。本来は農耕に適した風雨をもたらす神であったが、元寇以降は日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となったとのこと。
かなり歩いたのでちょっと疲れて来たのでいつも行くおかげ横町「寿司久」さんでイッパイ飲みながらてこね寿司をいただく。
おかげ横町ではおいしそうな食べ物がいろいろ売っていたがデザートの赤福餅をつまんだあとではなにひとつお腹に入れる事はできなかった。
それから伊勢神宮の博物館である徴古館と伊勢神宮を創設したと伝えられる倭姫を祭る倭姫宮にも行った。ここも内宮と離れた場所にあるため今まで行った事の無い場所だった。わたしが旅をするとついついタイトなスケジュールを設定してしまうが花粉症で体調が万全でないなかで全行程につきあってくれたノダには本当にありがたかった。午後三時にはふたりともへとへとになって帰りの近鉄特急に乗り込んだ。
外宮の垣の向こうには黄金に輝く新しい正殿が見える。
外宮の真向かいの高台にある多賀宮にいくのには石段を100段登らなければならない。
内宮の次の正殿前にてお気に入りのスーツを着て。
荒祭宮に行く途中、新しい正殿の垣根の檜がおごそかな黄金に輝く。
神宮参拝のあとはお約束の寿司久、てこね寿司。
あれ?どこかで見た顔?
あの赤福の製造過程。