コロナ禍では飛行機にのって海外に旅に出るのは無理でしょう。だからいまはひととき旅の思い出にひたることにでもしましょうか。今日締めているネクタイのお話。
今までピッティイマジネウォモで仕事をした後、美しいイタリアの街を訪問することができたのはラッキーだった。2014年の夏はひとりぼっちの旅。身軽にハンドキャリーのバック1つでローマに降り立ち、フィレンツェで一泊してピッティイマジネウォモで買付けの仕事を終えた後、フィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラ駅からピサへの電車に乗る。ピサの駅で荷物を預け、例の「奇跡の広場」行きのバスに乗る。バスを降り、ピサの斜塔と洗礼堂のある広場に入る門をくぐると目に入ったのは大量の観光客。時間予約をしていたピサの斜塔の前並んでいると予約制と知らなかった客が入らせろと押し問答で殺伐としたムード。斜塔の中は、それなりによかったがやはりわたしには人混みは無理。そそくさとその広場を去ると、目の前に巨大なバス駐車場が。この観光客の群れはイタリア中から、いや世界中からバスで押し寄せたのだ。それからピサの街にはいると夏をぼんやりと過ごす落ち着いた街の風景があった。
ピサからは2時間特急のるとジェノバに着く。夏のはじめのイタリアの海岸海岸は6月なかばだというのに海水浴の客がちらほら。いつも仕事ばかりだからイタリアのリゾートでゆっくり過ごしたことなどないなあとぼんやり思いながらジェノバの駅。ジェノバの駅を降りるとすぐ前にジェノバが出身地であるコロンブスの像。いまアメリカではこの像を倒す運動もあるそうだ。過去があって現在がある。現在の基準で過去を断罪するのどうかとも思ったりする。その前の坂をすこし登るとその日泊まるホテル。その後上映されたウェス・アンダーソン描くグランドブタペストホテルそっくりだった。ホテルに荷物を置いてすぐジェノバにはネクタイの名店があると日本で聞いた「フィノッロ」にタクシーに乗ってでかけた。タクシーの運転手にローマ通りまでと頼み「フィノッロ」に着くと、なんだここなら店名を言ってくれたらいいのにと運転手に言われた。日本ならネクタイの店などほとんどの人は知らない。だからこの店は地元に愛されている店なんだと分かる。
店にネクタイを買いたいと入ってもそれで?という感じ。店に合う客だけ買ってくれればいいという感じが名店らしさの雰囲気を醸し出す。拙いイタリア語で貴店のネクタイの名声は日本でも聞いていてどうしても私と友達の分を買いたいと言うとそれならと木の箱を出してくれた。クレストタイとソリッドタイを中心に20本ほど選んだだろうか、フィノッロに来たならこれは買ったほうがいいというのが今日している微妙な色使いのストライプのタイ。よくわからないがフィノーロでは最も伝統的なフィノッロ的なネクタイらしい。丁寧な縫製のシルク100%のネクタイで軽やかな締め心地。最初は渋い顔をしていた店主も色々話したり、美味しいジェノバの料理を食べられる店を聞いたりしたら、最後は見知らぬ日本人にもさわやかな笑顔でトラットリアまで案内してくれた。そこでいただいた、手作りのアッチューゲ(アンチョビ)のアンティパストと「ペスト」、つまりジェノべーゼのパスタは今でも忘れることができない。そしてフィノッロのご主人にはペストにはファジョーリ(五月豆のようなさや豆}と茹でたポテトが入っていない「ペスト」は「ペスト」ではないと釘をさされた。
旅はやはりいいものだ。