先週、妻と母と久しぶりに町内のうなぎ屋さん「いば昇」に行きました。ここは関西風素焼きうなぎの全国の指折りの名店ですが、近年名古屋めしブームで県外からの「ひつまぶし」目当てのお客さんでずっと行列が続いて、もう地元の民は行けないなあと嘆息していましたが、コロナでひょっとしたら今ならすぐ座れるかもと出かけたら、案の定すぐ席がとれました。
ここのお店で県外からの方はひつまぶしを食べるようですが、我々地元民がいただくのはオーソドックスな丼。うな丼があくまでメインであって、ひつまぶしはいわば個店のアイディア料理ではと考えています。
いば昇のテーブル席に席に着くと、我が母が女店員さんに対して、昔は家まで出前で持ってきてくれたのよと妙な過去の自慢話をはじめたので、さえぎって注文しようと献立をみると「おつくり」の文字。ひとつの思い出が脳裏にあざやかに蘇りました。
中学一年からの友人で現在NYの画商、公文君とは長い付き合いになりました。数年前にご逝去されたお母様にはいつも可愛がっていただき、30年以上も前、いば昇でうなぎをごちそうになりました。そのときお母様は満面の笑顔で、ここの「おつくり」が好きなんですわ、と言い、うなぎをいただくまえにヒラメかタイのお刺身である「おつくり」を注文して、醤油を付けて美味しそうにお食べになりながらうな丼ができるのを待ち、そして待ってでてきた温めた小ぶりの陶器の器に入った炊きたてのご飯の上に4切れ焼いたうなぎが乗った丼をまたまた美味しそうにお食べになりました。ただでさえご馳走のうなぎの前にお造りという、ごちそうのうえにごちそうを重ねる、さすが名家の出身のお母様らしいのエレガントな食べ方に感銘を受け、以来「いば昇」さんではそのように食べるようにしました。残念ながら先週おつくりは売り切れでしたが、う巻きで一杯やったあとおいしく丼をいただきました。
それで昨日はNYの公文くんと、そんなお母さんの思い出やうなぎの話など2時間を超える長話を楽しみました。いつもは軽やかに名古屋とNYを往復している公文くん。コロナの今は2週間の家にいなくてはならず、そう行き来はできません。そんな今、日本、名古屋錦しか食べられないいば昇のうなぎの話題はちょっと酷だったかもしれません。
今はラインやフェイスブックのメッセンジャーで長電話でも無料。いい時代になったのかもしれません、いい時代という実感はそうないにしろ。