みなさんはどんなクリスマスをおすごしだったろうか。今年は最高に素敵なクリスマスイブだった。
良いスコアで回るわけでもなし、すごいボールを打つわけでもなし、ほんとはあまり話したくはなかったが実は大学時代ゴルフ部だった。大学の頃は寮で過ごしたのだがロックンローラーよろしくギターとタイプライターだけを抱えてはじめて寮の門をくぐった。離れた地でひとりも知り合いも無い中、大学での暮らしになれず、、孤独に過ごした5月過ぎ、ゴルフ部に入ってみないかと声をかけてくれたのが当時ゴルフ部の部長だった一つ上の先輩スギモトさん。声をかけてくれただけでなく勧誘のため居酒屋で飲ませてくれた。入学した大学にはなんと9ホールのショートホールがあったため正直ゴルフにも興味がありすぐ入部を決め、名古屋に住む父にお古のゴルフクラブを送ってもらうように頼んだ。入部に際して長い髪を切り、デニムにも別れを告げゴルフスラックスに履き替えた。それからゴルフ部の日々はただただ楽しいばかり。入って半年はシャンクばかりだったが次第に球がまともに飛ぶようになるとゴルフにのめり込んで行った。スギモトさんは気の良い先輩、三重県鈴鹿市の出身で名古屋と遠くないので親近感があってかとても良くしていただいた。スギモトさんは学生時代、近くの中華料理店でアルバイトしていた関係で卒業後は横浜中華街で中華料理のコックとして修行していた。
その修業先にも中華街に立寄りがてらなんども遊びにいった。また卒業後もときどき家に遊びに来てくれる極めて気の合う先輩だった。修行後はご実家近くで中華料理店を営んでいた。12年前だったかドライブがてら店に遊びに行ったらいつも元気なはずのスギモトさんがえらく元気がない。どうしたのかと思ったらしばらくまえに脳梗塞で倒れたとのこと。がんばってよと激励しなんとか復活を願っていたのだがそれからわずか2ヶ月後スギモトさんは天に召された。お通夜の会場で若いあるじの死にうちひしがれるご家族の様子にいたたまれなかったのを覚えている。
数日前、このブログのコメント欄を見たら大学に付属している専攻塾にスギモトさんのご長男麻太朗くんが在籍されていてこの3月卒業の予定でその前に食事でもしようと誘ったと恩師のST先生からコメントをいただいたことに気づいた。先生にすぐ直接お電話してちょうど水曜休みだったので柏まで馳せ参じることに決めた。麻太朗くんとはお通夜の日から会っていない。集合場所で会った麻太朗くんはお父さんに似てがっしり太って元気な青年だった。それからST先生と3人トラットリアでランチをしてそして手賀沼畔にある日帰り温泉に行って楽しんだのだが、麻太朗、大盛りのパスタをもりもり食べている姿、露天風呂での裸のからだつき、そして陽にあたった横顔など亡くなったはずのスギモトさんがそこにいた。わたしはクリスマスの日の奇跡にすこしめまいすらしていた。個体としての死というのはだれにでも来る。しかしDNAの中で短い人生を閉じたはずのスギモトさんはまさに生きていたことをクリスマスイブに知った。スギモトさんが亡くなった時麻太朗くんは小学5年生、小さい弟や妹もいる大黒柱を失った一家の暮らしはけっして楽ではなかっただろうがそんな時間を乗り越えて来た麻太朗くんは快活でこれからきっとすばらしい人生が開けているはず。DNAの中のスギモトさんもきっと彼の成長を喜んでいる事だろう。
こんな素敵なランチにさそってくれた恩師に感謝。
スギモトさんとはもう会えないと思ったのにこの世でまた会う事が出来ました。