クールビズがはじまり、官公庁、学校、病院ではスーツ、ネクタイ姿自粛という空気も流れている。震災以後のことなのでそれはそれでしょうがないかもしれないがスーツラバーとしてもうちょっとスーツを着たいなと思う方もきっといるはず。

そんなときだからスーツの事をちょっと考えてみようと思う。ファッションアイテムの中でスーツがひときわ特異なのがその「匿名性」である。たとえばクルマだと、国産、輸入車などそのクルマの名前はたいてい表示されていてその名前とそのステイタス性がリンクしている。時計、バッグなどもそうかもしれない。ただスーツスタイルとなるとちょっとそうではなくなる。靴、ネクタイ、シャツ、スーツなどでブランドネームが表に表示してあったり、形がアイコンとして認識されているものはなくなる。もちろん靴エンスーの中にはその靴はどこのだと判る方もいるかもしれないが。 それでもあたりまえの黒であったり茶であったり形もむかしから続いた物でけっしてブランドのアイデンティティを主張する存在ではない。スーツはその「匿名主義」の最たるもので、どこのメーカーか判るアイコンをオモテにつけるのは絶対タブーとなっている。とはいえ、良いスーツを着ているというのはブランドマークがついていなくても洋服に興味のない素人のかたでもすぐ判る。素材感、フィット感、着こなしている雰囲気、また仕立てももちろんあるだろう。それは書かれているテキストではなく香り立つように確実に表現されるものだ。それはきっとスーツにそのスーツがたどってきたヒストリーがテキストを使わずに表現されているのだろう。
スーツを選ぶのは実のところ決して一筋縄ではいかない。急にお金ができたからエルメスのバッグ持ったり、ロレックスのデイトナでもすればそのステイタスも表現できるかもしれないが超高級スーツを買って着てもそのステイタス性がストレートに表現できるかはむずかしいのではないか。ただそこがまた面白く、世界中の男たちがスーツスタイルを楽しむ理由ではないかと思える。
かって日本の繊維に強い商社がカバン屋やタバコ屋やデザイナー名のライセンスブランドネームを紳士服地につけてデパートを中心に売り出し一世を風靡したことがある。しかしライセンスブランドというのはそのメーカーが作る訳ではなく、別の織物工場で作った服地にブランドがそのマークをつける事を許諾した=ライセンスを発行したということで実は物作りとは全く関係ない。いわばヒストリーの「偽装」でありスーツに本来備わる「匿名性」を毀損したともいえるだろう。いまは幸いにしてそういったことも下火になっている。現在の賢い消費者はちゃんとしたヒストリーを選び買うようになって来たというかもしれない。