もう40数年前の昔話、広小路本町の近所の楽器屋、名曲堂にギターを弾きたくてたむろしていた中学二年の頃。その店によくいた同じ学校のひとつ先輩のシマモトさん、マツイさんがデビッドボウイのコンサートにふと行ったらあまり凄くて感動のあまりデビッドボウイのコピーバンド、デビッドボーイズを作った。僕ら残念ながらデビッドボウイのコンサートには行けなかったけど、その素晴らしさをダイレクトに伝えるデビッドボーイズからデビッドボウイの素晴らしさを知った。デビッドボウイのレコードは何枚も買った。同級生のスギハラはボウイと同じ髪型にした。

思春期の頃はすでにビートルズは解散し、ハードロック、プログレ全盛期。みんなパープル、ツェッペリンに行く中、ボブディランやビートルズの影響を受けながらパントマイム的な要素も取り入れ研ぎ澄まされたデビッドボウイのパフォーマンスは魅力的で彼にのめり込んでいった。

ただ彼は我々が思っている以上にクリエイティブだった。ヒットしたキャラクターである「ジギースターダスト」をさっさと脱ぎ捨てどんどん先に行くこと、行くこと。それからもキマっていて、常に常にカッコ良すぎるのが彼。ジョージ・オーウェルの小説にインスパイアされた未来を憂いた曲1984、ヤングアメリカン、フェイム、レッツダンス、チャイナガール、などなど彼の曲、パフォーマンスは常におしゃれで無駄がなくトレンディでカッコ良かった。

でも人はワガママなもの。ザ・バンドやリトル・フィート、ウェスト・コーストなアメリカの土臭い音楽に惹かれていたそのころはカッコ良すぎるのもなんだかなーという気持ちにもなって来た。その頃、大島渚がデビッドボウイ主演ビートたけし共演、坂本龍一の主題歌で「戦場のメリークリスマス」を撮った。昔からのファンのわたしはデビッドボウイがなんだか一般的になった気がして気持ちが離れて行き、それからデビッドボウイのアルバムは買わなくなってしまった。実のところ「戦場のメリークリスマス」も見ていない。

昨年一月友人のタカシとローマを旅した。フォロ・ロマーノ近くのトラットリアで食事していたときにデビッドボウイのジギースターダストに入っている曲がBGMでかかった。思わずお店の人にこの曲大好きなんだと声をかけたら、悲しそうな声で言った言葉は「Lui e morto oggi」(彼は今日死んだ。) そのときぼくは自分のデビッドボウイに対する不実を悟った。

そんな思いを抱き、昨日午後、万感の思いで東京、天王洲アイル、寺田倉庫で開かれたデビッドボウイ回顧展「DAVID BOWIE is」を見ていた。展示された彼の衣装はずっと脳裏に焼き付いたもの、パフォーマンスのヴィデオだけでなくレコーディングの楽譜やインタビューの言葉など、あの頃の時代を過ごしたぼくにとってはすべてが大切な大切なものだった。デビッドごめんね。
 

彼の不在をいまも信じられない気持ち。



デビッドボウイ展より