ブログを10年にわたり続けることができたことはまずみなさま読者に大感謝です。
特にはげましていただいた一人を紹介したいと思います。大学時代の恩師、田中駿平先生です。ライブドアブログに書いていた頃からずっと続けてコメントをいただきこちらに移転してからもフェイスブックを通してコメントをいただいています。

人は褒められて育つ。

こうやってブログを書くことができたのは万年筆と原稿用紙の呪縛から逃れたことと昨日書きました。しかしわたしがこうやって文章をしたためるようになったきっかけを書いておくべきかと。
もう40数年前となりますが、大学在学中、田中駿平先生の講座でESSAY(随筆)を書くというテーマがあり、順番でわたしが英語で書くことになりました。きっと前の日あたりに部屋でタイプライターでしたためたつたないESSAYを思い出して「日本語」で再現するとこんな感じだったかと。

人はふと自分の身体を愛おしく思うことがある、自分の身体、自分の筋肉、自分の髪、自分の手。生をささえてくれる乗り物としての自分の身体だ、いままでありがとう、これからもよろしく、そんな気持ちを鏡の中の自分に語りかけることもあるかもしれない。でもひとたび、床屋に行き、ハサミで髪を切られ、床に捨てられるとそれはまさにゴミとなる。自分自身で爪切りで切っても汚く不潔なゴミとしてゴミ箱行きである。自分であった残滓は普通のゴミより汚らわしく感じることさえ。しかし少し前には間違いなく愛おしい自分のパーツ、切ったその瞬間、汚いゴミとなるわけだ。これからは髪、爪を切る前にはすこしは自分をささえてくれた感謝の気持ちをもつべきかもしれない。

そんな拙い私のエッセイを田中先生は、英語には間違いが散見されるが、内容的には非常に興味深いものだと評価していただいたのはもう40数年前。その時感じた嬉しさで、いまもこうやって書いていると言っても言い過ぎではありません。

昨日もお祝いの言葉をいただきました。

ブログ10周年を書いた昨日のブログにも facebook経由で貴重なコメントをいただきました。

田中駿平先生
いつも(正確には何度も)楽しく拝見してきました。「原稿用紙と万年筆の呪縛から逃れ」ーー時代の変化を改めて思い返しますね。もう1世代先輩の僕らの場合、「タイプライターからパソコンへの変換」です。同じようにキーボードに打ち込みながら、根本的な違いは、修正の難易度です。1ページ打ち終えてプリントし、ミスが見つかると、もう一度打ち直さなければならない、タイプライターの場合と、誤字だけを修正すればリプリントが出来るパソコンとの根本的な違いは大きかったですよね。(店主はタイプライター世代じゃないよね。)

店主
駿平先生、10年ずっと暖かいコメントありがとうございました。先生の励ましでここまで来ました。タイプライターの思い出、麗沢大学時代、親は商売が厳しい状況で当時29000円と高価だったオリベッティレッテラ21という機種を買ってくれました。それとギターを両手に下げて入寮しました。最初の頃は面白がって打っていましたが正直言ってタイプライターの修正は苦痛以外何者でもありませんでした。もう英語なんでどうでもいい気分になってゴルフに逃避していました。今は楽なもんです。今だったらどんな学問でもアクセスは楽です。でもあの頃の苦労は今は甘い思い出です。

田中駿平先生
道徳科学の論文』の英訳作業、宗武志先生主導で完成したのでしたが、基本的のはタイプライター。それをうちばあさんが全部担当しました。諸先生の手書き原稿のタイプ打ち、それに宗先生のチェックの入った分のタイプ打ち、いつもいつも、あの北部住宅の廊下で、タイプライターに向かってました。今振り返れば恐ろしいほどの努力でしたね。

店主
ホントのご苦労様でございました。ワープロ出現できっと奥様はラクで驚かれたでしょう。

右から二人目が田中駿平先生。お兄様の邦衛さまの面影があるでしょうか?
昨年6月廣池学園ゴルフコースにて