1月9日、海部俊樹元内閣総理大臣が91歳で逝去しました。深く冥福をお祈りします。今日は日本の総理大臣についてのわずかなご縁を書きましょう。

海部総理の前の総理

海部元総理大臣の前は、1989年平成元年6月に就任した宇野宗佑総理大臣でした。女性スキャンダルでわずか2ヶ月後の8月に退陣しましたが、実は宇野宗佑総理の第一秘書は高校同級生の森くんでした。森くんとは高2のとき同じクラスでよく遊んでいましたし、卒業後社会人になってスーツもオーダーいただいたことがあります。どういった経緯で宇野総理の第一秘書になったのかは聞いた覚えがありますがよく覚えていません。その後森くんは40代の若さで逝去されました。残念でなりません。

海部総理の誕生

宇野宗佑総理がバタバタと退陣となり、次の総理が愛知県一宮市に地盤を持つ自民党議員、海部俊樹さんになったのも驚きでした。いままで一度だけ文部大臣を歴任されたことがあるだけで、当時総理候補としてはノーマークだったはずです。それがかの小沢一郎のバックアップで総理に抜擢されたということはよく知られた話でしょう。

海部俊樹元総理は私が卒業した高校の先輩で、高校の大講堂で講演を聞いたことを覚えています。そして総理のご子息とは同級生でした。彼と同じクラスになったことはありませんが、中1全員が参加する水泳訓練合宿「水練会」の休み時間のとき、落語や漫談を見事に披露してくれました。早稲田雄弁会で名を馳せたお父さんの子だけあるなあとおもった記憶があります。

そんな事もあり、宇野総理につづいて海部総理がなったことで、雲の上の存在だった内閣総理大臣が身近に感じたものです。

海部総理のダンディズム

海部俊樹元総理大臣はいつもスーツに水玉、つまりドットのネクタイをされていました。ドットのネクタイはソリッドタイ(無地のネクタイ)と同格のクラシックなネクタイとされています。地盤の一宮市は日本のマンチェスターと言われ、紳士服地など毛織物メーカーがひしめく地域です。一宮の毛織物メーカーの経営者とも話すことも多いですが、仕事柄、スーツの着こなしには一家言ある人ばかり。友人で一宮市在住のノダもスーツの着こなしでは友人の間で群を抜いてます。いろいろなネクタイに手を出さずドットタイ一筋の海部総理、郷土にはぐぐまれたダンディズムを理解していたはずです。

元総理好みかも。ステファノビジドットタイ
ご苦労も多かった在任中ですがどうぞ安らかに。