39歳のときピッティにはじめて行きました。時は矢のように過ぎて今は65歳。26年前だということが嘘のようです。当時はイタリア語もボンジョルノとペルファボーレ(お願いします。)しか使えませんでした。当時はイタリアアパレルメーカーが何社か集まって意気込んで作ったクラシコイタリア協会による本館2階のクラシコイタリアゾーンが華やかなりし頃です。

2002年1月ピッティイマジネウォモ クラシコイタリアゾーン前
2002年1月ピッティイマジネウォモ クラシコイタリアの参加社

それから毎年行くようにして冬のピッティ通いが洋服屋としてのアイデンティティを確立していきました。いくつかのメーカーとの出会い、今は存在しないフィレンツェ中心の裏地店マリックとの出会いも懐かしい思い出です。

2002年1月ピッティイマジネウォモ 案外閑散としています。
2020年のピッティはこの盛り上がり。

2020年1月に行ったとき、中国、武漢で悪い風邪が流行っているというニュースはヨーロッパでも聞いていましたが世界的なパンデミックになるとは思ってもみませんでした。2月末には日本でクルーズ船での蔓延、そしてイタリアではミラノにほど近い瀟洒な街、ベルガモで棺桶が不足するほどの死者がでる大悲劇がはじまり、主要な工業はすべて停止、もちろん我々が扱うロロ・ピアーナ社、ビターレバルベリスカノニコ社もイタリア政府による強制的な操業停止に追い込まれました。当然、毎年6月11月に行われるピッティイマジネウォモも開催できませんでした。次の年、開催しましたが日本からはほぼ誰も、そしてどの社も参加しなかったはずです。

世界を襲ったパンデミックも、ワクチン、ウイルスの世代を経ての弱毒化などで収束に向かい、2023年の5月には伝染病3類に以降して日本も日を追うごとに平時に戻りました。平時に戻った今、あのパンデミックの日々は忘れ去られたようです。

毎年2回行っていた頃は、その間隔が半年と短く、わたしを含め多くのバイヤーたちはその変化を見つけるのが難しく、レポートを書くのに苦労していました。前回から4年を経た今年、ピッティはどんなふうに変わっているでしょうか。メンズファッションの世界はどんな変化があるのでしょうか?今回はきっとドラスティックな変化があるのではと期待と不安を強く感じているピッティ前週です。

2002年1月ピッティイマジネウォモに出かけた43歳の私。 ビッグなトレンチを着ています。
2020年 ステファノビジさんと
2020年ロージコレクションのスタッフと。