50代まではゴールデンウイークもイベントをしたり店を開いたりして働いていました。今はこうやって5/5までお休みを頂いています。今年のゴールデンウイークは思い切って、以前から行きたかった高野山での春季胎蔵界結縁灌頂と塔頭寺院に付属する宿坊での前夜の宿泊を予約しました。その後日経新聞で高野山金剛峯寺も世界遺産めあてのオーバーツーリズムがすごいとの記事があり、ちょっと心配でした。
5月3日渋滞を少しでも避けるため午前五時前に高速道路を西にむかって出発、おかげさまで渋滞も無く、橋本市に着いたのは8時頃、コンビニでおにぎりを買い、駐車場で腹ごしらえ。そして登り坂に挑みました。やはり聞きしに勝るワインディングロードが長く続いたあと、目的地の高野山に着きました。高野山は昔の人は難行苦行して登った高い山の中ですが、不思議なことに域内は山でなく平地ではないかと錯覚する特異点でもあります。弘法大師が衆生を救うため構想したいわば理想の宗教都市。弘法大師が途中で出会った御狩場明神の黒と白の犬に引かれこの地を連れてこられたとの伝説があります。
真言宗、いや日本仏教最高の儀式である「灌頂」の予約はチケットぴあで5月4日9時30分に取りました。前日ははじめて行く妻を案内しがてらあらめて高野山をじっくり巡り、その後宿坊での時間を楽しむことにしました。周囲には山伏のような烏帽子と衣装で灌頂に参加される信者の方が多くみられるのはこの儀式がとても重要だということの証。春季胎蔵界結縁灌頂の会場にはためく文字にあらためて気分が高まります。
壇上伽藍の大塔に入り巨大な大日如来を中心とした立体曼荼羅に圧倒され、その後大師教会で授戒を予約しました。授戒を待つ40分の間、ビデオで法話を2話見ました。死んでから浄土に行けますよという教えではなく、今、このいのちを活かすという弘法大師の教えは強く共感できて、私のこころのささえになっています。暗闇の中の授戒はこころを再起動する気分となりました。
霊宝館で貴重な仏像を拝観そして奥の院の杉木立の中を進み、多くの日本史上の偉人たちの墓を参りながら弘法大師がいまも生きて定まっていると言われる御廟に向かいます。ちょうど御廟と墓地を隔てる玉川の手前の休憩のできる建物の前に家田荘子の法話という張り紙を見つけました。
彼女は昭和に極道の妻たち、イエローキャブなどセンセーショナルな著作で知られ、当時、深夜のトゥナイトなどに出演していました。その後は出家されていたのは全然知らなかったのですがちょうど御廟参拝のあとに行けそうなので彼女の法話を聞くことにしました。壇上に立った彼女はショートヘアでしたがテレビで見た面影とかわりませんでしたがそう大きくもない集会所に20人ほどの前で話した彼女の目が慈悲にあふれた目をしていて驚きました。10分の法話とのことでしたが40分たっぷりユーモアも交え話してくれました。彼女の言葉で忘れられないのが、「正しいことをしましょう。お大師様がいう正しいこととは人が喜ぶことです。」というシンプルなメッセージです。「正義」というのを振りかざす人や国がありますがそれが「人を喜ばしているか」というフィルターにかけるとすぐその真偽がわかってしまいます。いいことを教えていただきました。
掃除の行き届いた宿坊に着き、きれいなお風呂にはいり、きれいな空気のなかでくつろいだあと、精進料理をいただき、朝も早かったので8時前には眠りに。
朝は5時に起きて1200年もの間、続けられている儀式、「生身供(しょうじんぐ)」に。これは御廟で待つ空海に食事を届ける儀式で、1日2回行われています。御供所にて調理された食事は嘗試(あじみ)地蔵での味見を経て、2人の僧が白木の箱に納めて御廟橋を渡って燈籠堂の中へ食事をお供えします。弘法大師がいまここにリアルに存在する気持ちになってきます。
宿坊に帰り、で朝7時にお勤めをしたあと精進料理の朝食をいただいたあと今回の旅の目的、春季胎蔵界結縁灌頂の会場の金堂まで歩きます。
午前9時30分の予約ですでに午前9時には50人以上の善男善女が金堂前で待っていました。時間になって暗闇の金堂に入ります。結縁灌頂は真言密教の最重要でかつ秘儀でもあり、当然撮影は厳禁で詳細にはお伝えできません。暗闇の中で目隠しをして行う崇高な儀式の意味は仏様と縁を結ぶこと。多くの僧たちが立会い1時間30分にも及ぶありがたい儀式のあとは私の心も完全にリセットして新たな気持ちになってこれからの人生の歩をすすめることができそうです。