ことしはコロナの影響で墓参ができない方も多いと聞いています。幸いにしてわたしは先祖代々の墓がクルマで20分ほどの名古屋東部覚王山周辺にあり、今朝は母を連れてお盆の墓参に行ってきました。この時期の墓地周辺の道路は大渋滞、駐車場は満杯ではないかと思われましたが、まったくスムーズに行けました。お花屋さんでは鬼灯(ほおづき)が花束に入っていました。これは「盆花」というそうです。
お盆はほんとは一体いつなのか、8月の中頃ということいがい詳しくはわかりません。かって私の家は羅紗屋といって、新潟や九州からの従業員さんも20人ほどいたオーダー用紳士服地の問屋でした。当時お盆というのは夏のお休みを意味していて、「藪入り」ともいわれて従業員さんが故郷に帰る日でもありました。
妻の実家の浜松では7月の中頃に盛大に「初盆」または「新盆」をします。お盆以後からお盆までに葬式があった家には葬儀屋さんが来て仏壇を飾り、周辺の人がその家に「盆供」と書いたお供えの金一封を持ってお参りに来ます。お葬式でもないのに多くの参列の方が仏壇の前で故人を偲んで泣いたりします。名古屋と浜松はそんな離れていませんが文化の違いを感じる出来事でした。
お盆の期間に亡くなったご先祖様がお帰りになるということはよく言われています。仏教の開祖お釈迦様は覚りについて説かれたのですが、輪廻転生や死後の世界は語られなかったそうです。お盆の期間にご先祖様がお帰りになるかどうかはわかりません。
しかしわれわれには間違いなくご先祖様がいて、ご先祖様がいなければ私達はいないということは厳然たる事実です。現代はイノベーションが叫ばれていますが、連綿としたご先祖様が築かれたトラディション(伝統)がなければイノベーションもありません。こんなお盆の時期には伝統について、ご先祖様について思いをはせましょうか。