二日前店先で太田くんと

10月というのに日中汗ばむくらいだったのが今朝の気温は摂氏11度。急に晩秋が来たかのようでした。寒い季節が今日から始まったのかもしれません。


小学一年生で同じクラスで仲の良かった太田均は歯科医であり、ジャズピアニストとしても知られています。二日前、散歩途中にふらっと立ち寄ってくれました。妻の入れたコーヒーを飲みながらなんか変わったことあったと聞いたら、同級生で映像作家の平山聡が5月に急に亡くなったとのこと。平山聡は高校生の時クラスが一緒で文化祭のために映画を撮影して、それを名古屋のサブカルチャースポットの七ツ寺共同スタジオで上映したらそれが高校生がつくった任侠映画と街の話題になったということがありました。当時あまり人気のなかった邦画もまめに見ていて、日活や東映のこの監督がすばらしいのだと教えてくれました。スリリングだった佐藤純弥監督の「新幹線大爆破」も彼が当時評価していた作品のひとつです。今はYou Tubeで映像を作るのは極めて簡単ですが、当時は8ミリカメラで高いフィルムを現像してそれを切り貼りして作っていました。高校生でそんなことをしていた平山聡はやはり映像の天才でした。

その後、平山聡とはご縁はありませんでしたがずっと映像作家をしていたそうです。今年になって太田均の弾くピアノに合わせ映像を撮影し、詩人にのテキストとあわせ編集して映像作品にしていたそうです。これが結局平山聡の遺作となりました。素晴らしいピアノ、すばらしい映像です。もしご興味のある方、有縁の方はご覧くださいませ。

映像詩 均平金プロジェクトVol.1「故郷」
均平金プロジェクトVOL 2「酒場にて」
これが最後の作品。生きていたらずっと続くはずでしたが平山聡の遺作となりました。均平金プロジェクトVOL3 「好き嫌いの歌」

いつか太田均と飲んだときに小学生の頃脇田くんというという群を抜いて頭がいい人がいたということを言っていました。同じ小学校に新一年生として入学してきた真面目そうな脇田くんの姿をなぜか覚えていましたがその頃頭がいいかはわたしはよく認識できず、太田均が小学校一年でなぜ頭がいいかわかったのかわたしには理解できませんでした。看板屋さんのご子息だから隆「字」って名付けられたんだと太田くんは言っていました。太田均にあの脇田くんはなにしているんだと聞いたら、なにいっているんだ、宏明、コロナ禍の話題でメディアによく出ている国立感染症研究所の脇田隆字所長が脇田くんなんだぞとのこと。iPhoneを開いて調べてみたら、あれま、このひとテレビで時々見る人だ!とちょっと驚いた次第。気が付かなかったのですが身近に秀才や天才たちがいたのですね。