中高生の頃ビートルズは数年前解散、ギタリストがヒーローのハードロック、ヘヴィロック、当時開発されたムーグシンセサイザー、サンプリングのはしりメロトロンをフィーチャーしたプログレッシブロックなどが花盛り。ただ誰々のギターが最高、誰々のギターが歌ってるなど雑誌ミュージックライフで書いてあってもYouTubeもなくそれを聞くのはなかなかコストもかかるのでなけなしの金2100円を払って買ったLPのミュージシャンを神として崇めるしかなかった。当時、ロッキンオンなる雑誌も流行っていて、ロック音楽の精神性が小難しい言葉で語られて、難解な音楽を聴くことイコール知能指数が高い人間と思われているフシもあった。バンド名だけは頭でっかちになって知っていたが有名でも聞いたことのないバンドも山ほどあった。どんな音楽がホントはいいのか全然わからない。わたしはそんなロックの深い森のなかをさまよう哀れな貧しい若者だった。その混乱に答えを出してくれた2枚組がエルトンジョン、Goodbye yellow brick roadだった。弟の友達が貸してくれたそのオシャレで楽しいアルバムジャケットに入っていた曲は歯切れのいいポップなサウンドとパワフルなボーカルで音楽の楽しさを教えてくれた。この中にはGoodbye yellow brick roadのほかにベニー&ジェッツがヒットしのちにダイアナ妃の葬儀の際に歌われたことで世界に知られたキャンドル・イン・ザ・ウインドも入っていた。ロックンロールから美しいバラードまで珠玉の名曲がそろったすばらしいアルバムだった。
そのエルトンジョンが横浜アリーナでライブをするというので妻と出かける。
開演時間になって暗いステージからGoodbye yellow brick roadのアルバムのオープニングの曲「葬送?血まみれの恋はおしまい」の不吉なフレーズがアリーナ中に響いた時、おなじみエルトン・ジョンとともにステージ上にGoodbye yellow brick roadがリリースされた40年以前からののオリジナルメンバー、ナイジェルオルソンとデイビージョンストンが姿を現した。事前の情報を全く調べずに行ったのだが、この夜のライブはそのGoodbye yellow brick roadを再現するツアーだったのだ。バンドメンバーは全てスーツにネクタイ姿。40年前レコードの溝がレコードの針で削れて粉を吹くくらい聞いた曲がそのままの音質で心に届いた瞬間は青春時代を再放送で見ているかのよう。遠い英国からエルトンが古い友達で気柄もよくスーツにレジメンタルタイを締め手袋をしてずっと笑顔でシャープなドラムを叩くナイジェルオルソンと、ワクワクするフレーズを奏でる美しい長髪の万年青年デイビージョンストンを連れて来てくれた嬉しさで深い深い幸せに浸る夕べだった。