泉に水汲みに来て
娘らが話していた
若者がここに来たら
冷たい水あげましょう
みどりの牧場にひげずらの兵士がやってきて
冷たい水が飲みたいと娘らにたのんだ
美しい娘さんひげずらをみるな
兵士にゃひげも悪いものじゃない
わたしりゃ陽気な若者
ネットで調べることもなしに頭の奥底にあった記憶のままに書いてみたのは小さな時に母が子守唄で歌ってくれたヨーロッパの民謡。改めて感じるのは子供の頃の記憶の鮮明さ。母は寝ぐずる幼児のわたしにローレライの歌とか野ばらとかを毎晩子守唄を歌ってくれた。それゆえその後わたしが音楽好きになったのは間違いない。
このたびル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館の建物が世界遺産に推薦されたことで思い出したのだがたしか小学校3年くらいだったと思うが母に連れられ東京に行き、出かけたのは上野の国立西洋美術館。そこでロダンの傑作、地獄の門、カレーの市民の素晴らしさを幼きわたしに説いた。地獄の門はミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた「最後の審判」同様、ダンテの「神曲」地獄篇がモチーフとされている。そんな母の教えのおかげでわたしは美術好きになったこともこれまたほんとのこと。
母は静岡の高校を卒業してすぐ名古屋に嫁ぎわたしをはたちの時に産んだので小学校3年の時というと母は28くらいとなる。そんな若い女性が美術について知識があったということちょっとおどろくべきこと。そんな母の幼児教育にはいまさらながら感謝している。いま一緒に暮らしている母は満78歳だがおかげさまで元気でほんとにうれしい。
ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館
国立西洋美術館中庭のロダン作地獄の門
有名な考える人も中庭にある。