センチメンタル・シティ・ロマンスのセンターギタリスト、中野督夫さんが去る27日、2年間に及ぶ闘病ののちお亡くなりになりました。残念でなりません。キレのあるストラトキャスターサウンドには定評があり、ライブでもスタジオでも全く変わらない技術の高さは、有名ミュージシャン達からおおきな尊敬を受けたまさにミュージシャンズミュージシャンでした。またその明るいオープンマインドはわれわれ後輩にも気楽に声をかけてくれるナイスガイでした。
私が18才で大学浪人中で先が全く見えない時期、いまでもトモダチの関戸の導きで矢場町の交差点にあったセンチメンタル・シティ・ロマンスの事務所によくお邪魔してお手伝いをさせていただきました。それこそお手伝いではなく邪魔をしていたかもしれません。当時人気のあったウェストコーストサウンドの日本最高の使い手としてリーダーの告井延隆さんと中野督夫さんまさに雲の上の人で憧れの存在でした。
それから時が経ち、私が44歳のころ、中区富士見にあるライブハウス「ローズマリーハート」で中野さんのソロライブの際、オーダーサロンタナカでも演奏してくださいとお願いして2004年7月中野督夫ライブinオーダーサロンタナカというストアinライブをしたのは懐かしい思い出です。
その後、いろいろなライブにお誘いいただき、中野督夫さんと付き合いのある元はっぴいえんど鈴木茂さん、日本のロックを創ったひとり小坂忠さんのライブを名古屋でしたとき誘っていただきいっしょに食事をしました。このときのことは忘れることはできません。
洋服屋ごときでまことに僭越なお話ですが、当時中野督夫さんの音楽を英国ロンドンで出来ないかと模索した時期もありました。英国コルチェスターに住むセンチトモダチのトンコとその実現を模索するため電話をしたこともありました。中野督夫さんのキャラクターならロンドンで間違いなく評価されたでしょう。もう永遠に実現しなくなったのは悲しいことですがそんな夢を中野さん、トンコと共有したのも懐かしい思い出です。今あらためて考えればピーター・バラカンに連絡を取って相談したら実現したかもしれません。それももうI WISH YOU WERE HERE 仮定法過去の世界のお話になってしまいました。
センチメンタル・シティ・ロマンスはツインリードで知られていますが、しばらく前にもうひとりのギター告井延隆はソロに専念するためバンドを去りました。しかし2018年の3月に復活ライブを松坂屋北館地下で行いました。ブログはこちら。結局それがオリジナルセンチメンタル・シティ・ロマンスの最後となっていまいました。
中野さん今きっと天国では、ギターの上手い男がやって来たとロック好きの神様仏様天使とともにいい音鳴らしているはずです。