2週間前、秋田田沢湖から岩手宮古までのドライブ中、FMラジオ番組で「ナビィの恋」の中江裕司監督が新作「土を喰らう十二ヶ月」の紹介を聞きました。面白そうだったので妻と母親を連れ、近くのミリオン座でみました。水上勉のエッセイを下敷きにした映画で水上勉の沢田研二が信州の田舎暮しをしながら、毎日、薪でカマドご飯を炊き、精進料理を作り暮らす春夏秋冬一年間のドラマ。料理監修は土井善晴、滋味のある映画でした。

この映画を見て、巡り巡って上田に行くことに。

便利なものでウィキペディアで調べると水上勉がどんな本を書いたのかどんな人生を送ったのかがとりあえずわかります。映画の主人公が語るように福井の寒村で生まれ、口減らしのため京都の禅寺で修行をして、そこで精進料理を覚えたそうで、沢田研二主演というのは、文壇きってのイケメンだったからでしょう、おもしろい人生を歩んだ人です。ウィキペディアには若い頃に息子(窪島誠一郎)と生き別れになったとありました。この息子窪島誠一郎という書き方がちょっと気になり、窪島誠一郎を調べてみると、上田市に戦没画学生の絵を集めた美術館「無言館」を創設したとありました。

イケメンの水上勉氏が里芋を焼く画像。映画は水上勉役沢田研二のここからはじまる。

上田市は真田の居城としてしられています。母の旧姓は真田、家紋は六文銭。どういう御縁かは知りませんが、真田の馬小屋の番あたりが富士吉田に流れてきたのではないかといわれています。上田はなにかしらの縁のある場所でいつかは行きたいと思っていたので、「無言館」「上田城」「新そば」をお目当てに先週の木曜に朝からクルマを走らせました。中央高速を岡谷ジャンクションを左に行き、塩尻、松本を過ぎ、更埴から上田インターで降り、まず上田城を目指しました。ほどなく上田城につくと、信濃は晩秋から初冬、石垣が風情を増します。

上田城は真田昌幸が千曲川沿いに建てた平城で家康も攻めることができなかった堅牢な備えで知られています。城は関ヶ原の戦いののち、破却されましたが、旧本丸の中に、落ちなかった城ということにあやかり受験生もよく参詣におとずれる真田神社が祭られています。

晩秋の上田城
上田城の櫓からみえる山
上田市博物館にて 甲冑につく家紋は六文銭

お城で歩いたらお腹が空いて、お蕎麦屋さん「刀屋」に。入り口ですわって10分ほど待ったら入れましたが観光客ばかりでなく、蕎麦にうるさい信州の人からも人気が高いようです。ご家族でしっかりした蕎麦を打っていて量も十分でした。

刀屋 普通盛
刀屋 柿寒天

お腹もいっぱいになり郊外の高台にある無言館に。木立の中にコンクリート打ちっぱなしの簡素な教会のような建物。入り口に受付はなくイタリアの小さな街の教会のような木の扉を開くとすぐに現れる静かな空間に絵が飾られていました。窪島誠一郎が設計した建物はまさに教会のバジリカ建築のような十字形をしているが絵を効率的に掛けるために考えたそうです。太平洋戦争で学徒出陣で戦死して帰ってこなかった東京芸大、帝国芸大などの学生の絵画が展示されています。基礎も才能もあり戦地に赴く直前まで書いていた作品はこころを打ちます。

帰りはもと来た道ではなく、岡谷インターまで和田峠を通って帰ったら案外早く帰ることができました。

帰宅後、母親に話したら、実はこの無言館には訪れたことがあって、窪島誠一郎館長の講演会につい先日出かけて握手をしてサインをもらったそうです。家には窪島誠一郎のサインが入った書籍が3冊あって、この無言館は母の兄であるおじに薦められたそうです。母の実家は3人の男兄弟が戦死し、残った四男のおじが家を継いだのでおじもここに心を寄せていたのでしょう。映画、上田、無言館と母の家を巡る不思議な縁を感じました。

無言館
高台の無言館から見える景色。