先週水曜日、東京平河町でのロロ・ピアーナの生産説明会のあと、駒場の民藝館に出かけました。民藝といえば1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。そんな中、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。「用の美」を提唱し新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示したのです。敷居の高い価値観を求める茶の湯とは違い、民藝の品物はその存在感などわかりやすい美しさで共感を覚えていました。

渋谷から駒場までの電車は学生時代よく乗りました。東大在学で胸を張って歩く友達とともにこのあたりを歩くのは二流大学生として恥ずかしいような気持ちだったのをよく覚えています。

そんなネガティブな思い出を反芻しながら歩くこと5分、お寺のような佇まいの民藝館につきました。平日なのに多くの日本人と欧米人の老若男女が来ていました。民藝の作品は倉敷の大原美術館や河井寛次郎記念館などで親しんでましたが外国のひとにもこの世界観がわかるんだとちょっとびっくりしました。

河井寛次郎、濱田庄司の陶器や棟方志功の版画など見ながら、売店に立ち寄りました。そこで棒で叩かれたような衝撃を受けました。ひとがものごころつくというか、記憶があるのはいくつくらいでしょうか。3才だとしてその頃、我が家で使っていた卵焼きの器がありそれがその売店で売っていたのです。いままで売っていた店など知りません。蓋を開けて中も見ましたが全く同じでした。まだ当家がビルでなく日本家屋のころからその器に玉子を入れて焼いてもらって食べていました。それはバーナード・リーチゆかりの益子焼窯元で作られているそうです。バーナード・リーチのデザインかもしれません。

あらためて家で撮影。民藝館で再会を果たした卵焼きの陶器。

家に戻って母にその由来を聞いたら、伏見に「八雲」という民藝の器を売っている店があり、結構高かったと言いながら祖母が買ってきたと行っていました。64年前の自分に出会った気持ちになって懐かしくって2つ買いました。

民藝館でこれらをお買い物。
柳宗悦居宅
日本民藝館