自分の部屋のひきだしの片隅からホコリのかぶったサングラスが見つかった。25年前、香港の中環で買ったレイバン・ウェイファラーだった。サングラスといえばこの形が好きでいま使っている新しいものも昨年ミラノ・マルペンサ空港で買ったこの形。
前が25年前のウェイファラー。後ろはあたらしいウェイファラー。
これを買った頃の香港はまだ英国租借地だったので英国紳士服地を扱うフーシンとかサミエルチェンなどという羅紗商が中環の路地にあり、そちらで英国ハダスフィールドのモクソンやフィンテックスなどのスーツ地を仕入れになんどか行った。当時香港国際空港は啓徳空港で着陸間際に飛行機の窓から外を見ているとああ羽根がビルに衝突するとおもうと滑走路が見えランディングするスリルをあじわったものだ。啓徳空港から悪の巣窟といわれるつぎたしつぎたしでつくられた九龍城が見えた。香港に行くと楽しみは食事。香港人の友達はレストランに入る前に、VO=長頸と書いたブランデーを酒屋で買い、そして露店でフルーツ各種を買い、レストランの支配人に渡し、これを出してくれるように頼んでいた。つまり酒もデザートももちこみオッケー。その持ち込んだブランデーをコップにそそぎすすめてくれる。口当たりはいいがブランデーグラスでちびちび飲むのと違いすぐ酔っぱらってしまう。ブランデーのひどい酔いと路地のパクチー系の香りがぼくの香港の思い出。酔い覚ましでスターフェリーで尖沙咀から中環まで行き来したとき見た夜景。子供の頃、世界の旅の写真集をみてあこがれていたタイガーバーム公園のキッチュで奇怪なコンクリート像を見られてうれしかった。その後、公園の土地はマンション用に切り売りされたそうだ。一部は今も残っているそうだが立ち入り禁止。ビクトリアピークまで登るケーブルカーには途中に駅があっておもしろい。どうやら高台のマンションの住人がつかうためらしい。でもヴィクトリアピークと言っても全然ピークではなく山と山の間のくぼんだところだったのがちょっとがっかりもした。鯉魚門れいゆーむんという海鮮料理の村に船で渡って行った。どうやら今は埋め立てられて歩いて行くらしいがそのころ風情のある場所だった。船着き場を降りると大きいナポレオンフィッシュや極彩色の巨大な海老が浮かんでいる水槽のある鮮魚店がたちならびその中の一つで魚介類を買い、これまたレストランに持ち込むと料理してくれる。海老やらタイラガイの蒸したのやらハタやらいろいろいただいた。そしてシメはいつでもハムユイという干し魚の炒飯。干し魚の生臭さが妙に美味かったのでみやげにハムユイを買って来たがどうやって使うか分らず捨ててしまったのが残念だった。四六時中飯を喰い、帰りの飛行場でもシンガポールビーフンというカレー味のビーフンを喰った。それから香港は英国の租借が終わり中国に返還された。一国二制度と言って中国に返還されても資本主義の自由は続くと思われたが、最近のニュースで北京からの圧力で民主派が立候補できない選挙制度に変わるようだ。こうなったらきっともう自由港といわれた香港のよさはなくなってしまうかもとちょっと悲しい気分になった。後日談だがわたしが紳士服地を買っていた香港の商人はお金持ちだったので香港返還のときみんなアメリカやカナダに脱出していったそうだ。