ヨーロッパの旅での一番の楽しみは飯でも買い物でもなく、美術館に行き絵画を見る事。とくにイタリア絵画を見るのをとても楽しみにしている。仕事やミーティングの時間の合間に時間が2時間でも空くと、近くにある美術館に飛びこむ。500年前、芸術家という職業は存在せず職人の親方だったオールドマスターが貴族、教会などパトロンに最小限のコストだけを貰って書いた絵はその後、その素晴らしさを見いだされ、国家予算を凌駕するほどの、まさにプライスレスな価値を持つことになった。

一昨年、白水社からヴァザーリ生誕500年記念出版として新書判で「芸術家列伝」が全3巻で出た。ヴァザーリというひとはフィレンツェのサンタマリアデルフィオーレ大聖堂クーポラのフレスコ画やフィレンツェ市庁舎の壁画などを書いたが、画家としてよりむしろこの「芸術家列伝」で有名となっている。同時代人としてオールドマスターの生き様や芸術家への評価などを活き活きと描いた「芸術家列伝」を読むのはとても楽しかったがこの第一巻に出てくる「マザッチョ」を読んでどうしてもマザッチョのマスターピース、サンタ・マリア・デル・カルミネ教会ブランカッチ礼拝堂」に行ってみたくなった。ヴァザーリは、ボティッチェリ、ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどすべてのフィレンツェの画家たちが「絵画における原則と法則を学びとるために」マザッチョのフレスコ画を徹底的に研究したとしている。昨年夏のピッティウォモに行った際に行きたかったが予約に失敗し行く事ができなかったのでさらにその思いがつのった。今回は昨年12月のうちに電話で1月11日午前10時からの予約に成功しこのブランカッチ礼拝堂のあるカルミネ教会にいくのをとても楽しみにしていた。
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雨にけぶる古都フィレンツェ
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正面がカルミネ教会の簡素なファサード

11日当日ホテルを朝ご飯をすませると外は雨、フィレンツェ中心部にあるアンドレアの店「マリック」での打ち合わせを済ました後、サンタ・マリア・デル・カルミネ教会に向かった。アンドレアの店からはアルノ川をはさんで歩いて10分と決して遠くないのでぶらぶら傘をさして歩く事とした。橋の上からは雨にけぶるポンテベッキオが見える。もったいなはなしだが花の都であり皆が憧れるフィレンツェであるが実はもう飽きるほど通っているとはいえ雨の古都の景色にはあらためてこころから感動する。
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会はファザードに飾りも無く広場をかざるモニュメントもなにもなく簡素なたたずまい。 この教会のなかの小さな礼拝堂に美術の世界を革新した壁画あるということは知識が無ければ誰もわからない。予約した10時丁度についたが木の古い扉は開く気配もなく堅く閉じられている。見るのに予約が必要なのに並ぶ人は誰もいない。雨を避けるひさしも無くただただ小さな傘で雨をさけながら教会の冷たい壁にもたれていたら予定の時間を15分ほど過ぎたところで重々しく扉が開いた。中に入って入場料を払う小窓にむかうと予約してあるシニョールタナカだなと声をかけられ無事見ることができるとこころでホッとした。回廊のある中庭の向こうがブランカッチ礼拝堂の入り口になる。小さな階段を上ると「ピエタ」の彫像がある小部屋に出てそれからブランカッチ礼拝堂へ入る。これはサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の祭壇の右にあるが通常礼拝に来た人は陰になって見えない位置にある。客は私たち以外は二人で静かにゆっくり鑑賞する。
以前はとても傷んでいた礼拝堂の壁画だが力をいれた緻密な修復がなされ、第一印象はとても色鮮やか。上下2段にわかれ左、正面、右と壁画がある。これをみてラファエロらがこの場所で必死に模写したことを考えると感慨あらた。ゆっくり一枚ずつ眺めていく。技法について細かい事はわからないが壁画に描かれているひとりひとりの人物をその人がその瞬間に考えている事も想像できるかのようなリアルさがある。洗礼を受ける人の肉体、キリストに仕える人の姿勢、そして人物のつま先なども定型的に描かれている訳ではなく人が生きているのが感じられ画家の力量がしのばれる。すばらしい絵をみるとゆっくり時間をかけてても飽きないのが不思議。どれだけそこに居たかはわからないが制限時間の15分をすぎていることだけは間違いない。とはいえ冬の朝だったため人がすくなかったので係員にも文句言われずに済んだ。このあともう前日に続いて、ここから歩いて15分のピッティウォモに出かけ、頭の中を「仕事モード」にもどした。 
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カルミネ教会内部、祭壇右がブランカッチ礼拝堂だがここから入ると見る事はできない。
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ブランカッチ礼拝堂にすぐ手前にある部屋に置いてある「ピエタ」
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ブランカッチ礼拝堂の正面 右の上の洗礼者の肉体がリアル
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上の絵が有名なマザッチョ「貢の銭」
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マゾリーノの描いたアダムとイブ
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マザッチョが
描いた楽園を追われるアダムとイヴ