あんなみょうちきりんなキノコみたいな頭の女か男かわからない連中のどこがいいのと親に言われながら育った子供の頃。気の利いた年長の兄弟もいなかったからリアルタイムのビートルズは縁がなかったが小学5年生の時、オオタヒトシの部屋で聞いたイエスタデイが事始。その価値も知りもしない母親に不良呼ばわりされたビートルズにもこんなにうつくしい曲があるのかと目からウロコがとれた瞬間だった。時は1970年レットイットビー発売でデビュー当時と違いひげ面の4人が東芝の4チャンネルステレオのコマーシャルにつかわれていたりしていたのが解散前夜、中学生になるとディープパープル、レッドツェッペリンなどハードロックが流行して、そのギターサウンドの強烈さにぼくらみんなとりこになった。なんだかビートルズはまるで薄味でぺらぺらのフォークソングのように感じていた。でも高校の頃になるとハードロックがどれも同じように聞こえるようになるのに対して特にホワイトアルバム、サージェントペッパーズ、アビーロードなど後期ビートルズの音楽はバラエティに富み、味わいも深みも芸術性もあることがだんだん判り、好きになっていた。もうそのころにはビートルズは世界中の人々に知られるようになったので今更ビートルズが好きだともいえずにひっそり聞いていた。ポールマッカートニーのマーサマイディアのような叙情あふれる曲が琴線にふれたのだからその後ソロになってもウイングスを率いてもすきだったがジョンレノンのイマジンに心酔している女の子に田中さんはジョンよりポールが好きなんですかと軽蔑に近い冷たい視線を浴びた事を忘れる事はできない。そりゃジョンはかっこいいさ、ストロベリーフィールズ、カムトウギャザーいいよね、でも世界を変えなくても音楽バカと言われても悪者にされてもポールの歌が好きだった。音楽ひとり自宅のソファでギターを弾く時間はぼくの大切な時間だがボサノヴァだけでなくビートルズの曲をひくことも多い。ああ、こんなコード進行だったのかとかこんな歌詞だったのかとビートルズの曲は演奏してもとても味わいがある。今となってはウェブ等でコード進行はすぐわかるが60年代当時リアルタイムでビートルズをコピーした人に聞くと彼らの独創的なコード進行にはほんとう驚かされたそうだ。友人のスギウラツヨシはおやじに連れられ1966年武道館での東京公演にいったそうだがぼくはいままで本物のビートルには縁がなかった。もう最後の来日だといわれる。今日まで飢餓感を高めるためなるべく彼の歌は聴かずにおいていた。今夜遠くボールパークのスタンドからポールマッカートニーを見ながら何をおもうのだろう。

とんでもない歌だが、当時は普通に深夜放送で流れていた。この曲が耳について離れない。 常田富士男「私のビートルズ」
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電話のケースでいちおう意識はしている。