先週水曜日まさにクリスマスイブの日、大学時代英語を習っていたギャビン バントック先生に会うため卒業した大学に出かけた。英国の名門に生まれた先生は日本人に正統な英語を教えるため大学に奉職、真の英国式英語教育のみならずシェイクスピアを中心とした英語劇を学生に教え、後には高知の明徳義塾高校で教鞭をとっていた。そしてこのたび柏市にマンションを購入し来年から住むことになりその準備のためこのクリスマス、新年に柏でおすごしとのことをフェイスブックで見つけ、久しぶり恩師に会いたいと思ってちょうど水曜休みだったので新幹線に乗ってでかけた。今は外国語を学ぶ事はとても楽しいと思っているが大学時代は今とちがってあまり外国語に情熱がなく良い生徒ではなかった。でも先生はぼくにさまざまな任務を与えてくれた。高校の頃に映画を作っていた事を知ると英語劇を当時のソニーベータマックスで録画する仕事を与えてくれたり、ギターが弾けることを知ると詩人でもある先生が作った英語劇のための詩に作曲する仕事を与えてくれた。実はそれがわたしが作曲した最初で最後でもある。二年生の夏休み中だったかずっと悩んで5曲くらいつくったおぼえがあるがまちがいないのはそのすべてが駄作だということだ。ひさしぶり先生にあって、今はテーラーとしてがんばっていることなどを拙い英語で伝えた。思い出話の中でその作曲の話しがでてきた。駄作ばかりでもうしわけなかったと謝ると、バントック先生はどんな曲をつくったっけと僕に尋ねた。確かエスカレーターの曲を作ったとおぼろけな記憶をたどって答えると、ああそれはこんな曲だったと先生はメロディーくちずさんだ。先生はもっと沢山の優秀な生徒を何十年も教えてきたはずでその数はたぶん万を数えるだろう。そのなかでもダメな生徒が作った駄作を覚えてくれていたのだ。教師の頭はまるで巨大な収蔵庫だ。ぼくはひどい駄作を作った忘れたい思い出だったのにその思い出が先生が覚えてくれていた事でちょっと輝かしい歴史に化学変化をおこして変わっていった。バントック先生とお話できたのはたった30分の時間だったがやはり会ってよかった。またいつか、学生時代のように杯を交わしたいといって別れた。
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35年前とお変わりのないバントック先生と
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バントックご夫妻と