きのうはおついたち。朝外に出ると曇り空だがあたたかい空気に春の到来を感じる。いつもの月初めのように母と覚王山から自由が丘へ登ったところにある当家の墓地に墓参。いまここに入力してみて気付いたことがある。覚王山=覚った王=釈迦の真骨を仏教国同志の友好のためタイから賜り誘致運動の末、名古屋に来ることになり寺院が建立されることになった。そしてついた名前が日本とシャム国の頭文字をとって日暹寺現日泰寺。その仏舎利が安置されている仏舎利奉安塔の前を通り自由が丘へ。つまり「覚ったのち完全な自由」に至る道ということで当家の墓地はなんだかいい場所だと納得。日泰寺の由来はウィキペディアにはこうある。

明治31年(1898年)仏教開祖釈迦(ゴータマ・シッダルータ)の遺骨仏舎利が発見される。インドにおいて、骨壷が英国の手で発掘され、古代文字の解読の結果判明。
明治32年(1899年)遺骨仏舎利が、英国からシャム国(現在のタイ王国)へ譲渡される。
明治33年(1900年)遺骨仏舎利が、シャム国国王ラマ五世(ラーマ5世)から日本国民へ贈られた。
明治37年(1904年)仏舎利と黄金の釈迦像を奉安するため、覚王山日暹寺として創建。
大正3年(1914年)伽藍を整備。
昭和20年(1945年)空襲により全焼。

昭和24年(1949年)シャム国のタイ王国への改名に合わせて日泰寺に改名。 

 昨日ローマ法王ベネディクト16世が退位された。本当にこころからご苦労様でしたと申し上げたい。世界で一番重責かもしれない法王の座を8年続けられたことは生前に退位されることになってもなんらその価値を損なわれるものではない。法王に神の祝福を。2006年にローマに訪問したおりはベネディクト8世が就任したときでサンピエトロ広場でモニター越しではあったがベネディクト16世のお姿を拝見したのも思い出深い。
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2006年にサンピエトロに訪問した際。モニター越しにみる当時新法王だったベネディクト16世

わたしは仏教徒だがローマ法王には深いシンパシーを感じる。はじめてローマに行った18年前はイタリア・ロロピアーナ社に日本のテーラーの代表の一人として招かれたのだが父が亡くなって49日法要が終わってすぐだった。このイタリア・ロロピアーナ社訪問の事はいずれまたくわしく書きたいがその時旅の終わりがローマだった。ローマでヴァチカンに訪問しサンピエトロ寺院に安置されているミケランジェロの最高傑作「ピエタ」をひとり前にしてそのキリストの姿が父のなきがらに見えて涙が止めどなく流れたのは忘れられない思い出。その旅でイタリアの地はテーラーとして学ぶところが多いと次の年は妻を連れてローマに行った。ミラノから電車で4時間、ローマに着き、テルミニ駅からタクシーに乗りヴァチカンに行ったのだがサンピエトロ広場に私たちが着いた瞬間に前法王ヨハネパウロ二世は宮殿の窓から広場の人々に向けて演説をはじめた。その演説の意味はまったくわからなかったが、私たちは法王の演説のあることを知る由もなく、演説をめざして予定を立てた訳でもなく、バチカンを見るためサンピエトロ広場に着いた瞬間に始まった法王の演説には「縁」を感じた。
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2006年にサンピエトロに訪問した際。ミケランジェロピエタ