昨日卒業した高校の同期の連中80余名あつめての大宴会が名古屋中区役所地下「嘉文」で行われた。50を過ぎ角がとれて円熟味を増した男達の群れは壮観ともいえる。

サイズ大きめの黒ウールサージでできた詰め襟を着た少年500余名が名古屋車道の古い校舎に初めて集まったのはもう40年前となる。小学校で秀才といわれた奴らばかり集まるので、この学校に入った瞬間から多くの秀才は凡才となる。お山の大将だったのが上には上がいる現実のもと遠い大学受験をめざして授業がどんどん進んで行くと学業に背を向ける者も出てくる。ぼくもそんな一人だった。男子校ゆえセーラー服女子への強すぎるあこがれとそのころ流行ったディープパープル、レッドツェッペリンの激しい音に酔いしれる日々が続けば学校の成績はどんどん下降線をたどることとなりすくなくとも早慶くらいと思う両親の夢は淡く消え去ることとなった。そして今同期会で集まった、社会の中で脂の乗って来た連中の張り切った顔をみているとあの頃もっと勉強しておけば良かったという後悔めいた気持ちにもなってくる。

朝日ただ射す東海の
わがまなびやにつどいきて
健児のひとみ火と燃ゆる 想いをこーめて仰ぐ時 
尊く清く明らけき(ココでテンポが遅くなる)明照殿の霊光は
いとまさやかに輝けり、いとおごそかに輝けり。

誠実われをあざむかず
勤倹とわにいそしみて
天をおそれて矩越えぬ至純のこころ願わくば
この霊光に照らされて
確信の歩をかためつつ
御国の民の道行かん
高き理想の道行かん
(そらで覚えていました。良い歌詞の深い歌です。)

そんな校歌を口では歌いながらあたまの中は
「青春時代が夢なんてあとからほのぼの思うもの青春時代の真ん中は道に迷っているばかり。」
という歌を思い出していた。

一方いまでも古い仲間達と共にずっと生まれた場所に住み、祖父からつながっている洋服屋という仕事に従事してそれが自分が好きな道であるということへの喜びもひそかに感じてもいた。

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福谷君の指揮のもと校歌斉唱のよっぱらいたち

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大声で歌うという事はいいことなのだ。

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二次会で三杉ことスギハラスギモトスギノとセトのしゃちょう。