先週の水曜日は母、妻、娘と家族旅行。鹿児島空港からレンタカーで鹿児島城山観光ホテルで休憩の後一路、知覧特攻平和会館に向かう。中学生の娘と旅するのに景色を見るだけではいけない。いままで日本を支えて来た人たちの事を考えるきっかけになればとぜひ行きたかった場所。春一番か激しい雨の降る中、知覧特攻平和会館に入場する。オーディオガイドを借り解説を聞きながらおのおの見る事にする。 特攻機が知覧の飛行場を飛びたったのは昭和20年中心となる。すっかり日本が平和になった昭和33年に私は生まれた訳だがそのたった13年前戦争で連合軍に追いつめられた日本の苦境をなんとかしようと1100人あまりの将来ある若者が戦闘機もろとも米軍の船に突っ込もうと死んで行った。若者たちが特攻出発直前に残した遺書と、特攻の生き残りである名古屋出身の板津忠正さんが生涯をかけて集めた特攻で亡くなった若者の写真を展示してある。遺影をじっと見ながら遺書を時間の許す限り読ませていただく。いま日本は平和が長く続くがどんな思いで知覧の地を飛び立ったかじっくり、じっくり考える。その答えはブログでさらさら書くほど軽い言葉では表現できるはずもない。大戦で4人の兄を亡くした母の思い、いかばかりか。涙雨の中知覧の美しい山々の谷を去るとき我が家族はおたがい一言の言葉を交わすこともなく特攻への思いをこころで反芻していた。

ワイパーも効かないほどの雨の中、山の尾根を走るような道をを40分ひたはしり指宿白水館に着く。海岸沿いの大降りの松林のなかに豪壮な屋敷の旅館で部屋からの錦江湾の眺めもすばらしい。部屋でゆっくりくつろぐ間もなく、風呂好きの家族は早速お目当ての砂むし温泉に。浴衣を着たまま砂の上に横たわり温泉の熱で暖まった砂をたっぷり全身に乗せてもらうともう動けない。隣に娘や母がいるのがなんだか面白い。そのまま15分ほどすると顔から汗が滝のように流れてくる。砂からでると砂の重量から解放されてなんだか身体が軽く感じる。それから指宿温泉特有の強塩温泉に入るともう身体はぽっかぽか。たまにしかこれない温泉なので元をとらなきゃと食事までにもう一度入浴。夕ご飯は黒豚のしゃぶしゃぶ会席にみんなご満悦。一杯1300円で森以蔵が飲めるので飲んでみた。たいへん旨いが地元産一杯400円の芋焼酎との差が実のところよくわからない味音痴の私。

次の日は朝からもう一度全員で砂蒸し温泉に入ってから朝食そしてすぐ長崎鼻に向かった。わたしは高いビルや高い塔にはあまり興味は無いが岬の先端というのはなんか行ってみたくなる。スギハラ、シモちゃんと行った北海道の神威岬も感動したが長崎鼻もほんとうに美しい場所で。岬の先端からながめる大海原と岩と開聞岳の景色はうっとりする。それから山川港で海産物を買い一路鹿児島市桜島フェリー乗り場へ向かう。。矢印にそって車を走らせると切符も買わずにもう船内に入る。そしてすぐ出航で所要時間15分程度。そして降りると高速道路の料金所のようなところでお金を払う。フェリーに慣れていないものにとって桜島フェリーはとても楽しいエクスペリエンスだ。桜島の道の駅で腹ごなしをしてから山の中腹にある湯之平展望台にクルマで登った。間近でみる勇壮な火山の景色と錦江湾、姶良カルデラ、そして遠くにかすむ鹿児島の市街がまさに360度パノラマ。
その後鹿児島市に戻り、島津家の庭園、「仙巌園」に行く。NHK大河ドラマ「篤姫」を欠かさず見ていた母は大喜び。桜島を借景に見立てた庭園は京都の庭園とちがい、鹿児島武士のおおらかさを感じる。また場所も庶民が住む街からそんな遠くもなく島津の殿様と薩摩の民の近さを感じた。帰りの飛行機の時間が迫ったのでそんな長い時間は居られなかったがまたいつか再び訪れたい場所だ。仙巌園も鹿児島も。 
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知覧のおそば屋さん吹上庵 胡麻そばが美味
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知覧特攻平和会館の窓から見える館内展示の戦闘機
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指宿白水館、部屋から錦江湾を眺める。
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指宿白水館 夕食 先付け
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指宿白水館 さつまいもの天麩羅がうまかった。
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指宿白水館 美しい庭
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長崎鼻
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桜島 湯之平展望台
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仙巌園に咲くサクラと桜島