昨日は朝早くゴルフがすんで、もう午前11時には家に戻った。それが早朝ゴルフのいいところでもある。午後はゆっくり買ってあった本でも読もうと思っていたが、母と妻は映画に行ったのでちょっとうらやましく、調べたら伏見の映画館でFADING GIGOLO 「ジゴロインニューヨーク」がまだ間に合う。急に空が曇り激しい雷鳴が轟ろき、滝のような雨が降って来た 。ヒョウでも降ってこないかなと窓辺で見ていたが思いのほかすぐやんでしまったので自転車で映画館に向かった。
 切符を買って入ったら、映画泥棒が流れていてすぐに本編が始まった。ザラザラとした画面が秋のニューヨークの風景によく合う。セクシーなテーマをさらりと流すのがウディアレン映画の楽しさだがこの映画はウディアレンは役者として出演しているのみ、監督は主演の
ジョン・タトゥーロで風貌がちょっと我が父に似ている。この映画は人種、宗教の入りまじったニューヨークを生きる人を描いていたので名古屋の街の中心で暮らしている身としては共感できる映画だった。巨大な怪物のCGによる作り物が大都市の街やビルディングをばんばん壊す映画はたとえ正義の味方であっても悲しみを孕んだ存在であっても好きになれない。そういえば我がブログのタイトル、洋服屋街を生きるについて話していなかったのでちょっと話してみたい。

元チェリッシュでサンデーフォーク設立メンバーである奥山けいぞうさんは鋭いファッションセンスをお持ちでこころから尊敬していて、おしゃれについてなどウイットに富んだ話しはいつも参考にさせていただいている。何年か前、何についてそういったのかは忘れてしまったが、酒場で奥山さんはぼくのことを、おまえはシティボーイだからなあといわれ正直とても嬉しかったのを強く覚えている。それまではあまり意識することは無かったのだが、それを言われて以来街で生きている事、街で生きている意味を良く考えるようになった。それが「洋服屋、街を生きる」のタイトルとなった。
清濁を併せ飲んで街を生きる。
名古屋の一番有名ともいえる繁華街、錦三で生まれ育ち、仕事をしている。スナック、クラブ、居酒屋、飲食店が並び風俗の店もあり、夜には客引きも現れるけっして美しい街ではない。朝になるとホストや酔っぱらいがふらふらしている。コンビニにいくと身体のおっきなオカマさんが買い物をしているし、顔にたくさんのピアスをした人たちも楽しそうに自転車に乗っている。緑が全然ないこの錦三という街でロハスな暮らしはもちろん出来ないし、
清く正しく正義が貫ける生き方も出来そうもない。 でもこういう街に住んだから子供が不良になったということをここに住んでいる町内の人たちのなかで聞いた事も無い。我が息子や娘もこのカオスの街でおかげさまで健全に育ってくれた。この街におそわった清濁を併せ飲むという考えが心のなかに育って行ったのかもしれない。
肩寄せ合いながら街を生きる。
狭い地域の中にたくさんの人が仕事をして、そこに集い、そして住む場所、それが都会であり街である。いろいろな思い、欲望が渦巻いている場所である。ひとびとの暮らしがジグゾウパズルのように混みいっている。ここは大声で権利を主張し肩肘張って生きる場所ではない。限られた場所で自分を失わず、譲り合いながら暮らす場所である。車道も歩道も多くの人がいる。郊外の高速道路を走るクルマのように伸びやかにアクセルを踏む事はできない。のびのびはできないながら肩寄せ合って生きるあたたかさは間違いなく存在する。
酒場では知った顔に出会える。なじみの店ができたらここに来るまでどんな暮らしをしてきたか聞かれる事もなくこころを開き話しをすることもできる。これは狭い場所で徘徊するものの喜びにほかならない。街の暮らしはおせっかいではないが冷やかではけっしてない。
04
伏見の映画館にて
09
セクシーに生きる。
14
そして優しく生きる。