こんな日がほんとに来ていいのだろうか。ぼくは耳を疑い、目を疑いながら名古屋駅から歩いて10分ほどのライブハウス「ZEPP名古屋」の前から8列目の左から8番目の席に座っていた。ティンパンアレイのことはいまさら書くこともなかろう。日本のポピュラー音楽は1970年代になって白黒テレビがカラーテレビになったかのように変わった。変わる際エンジンのピストンになったような主人公達である。細野晴臣、鈴木茂、林立夫、矢野顕子。この4人がレコード針いやCDからの音ではなく彼らが本当に奏でた楽器で同じ空間の音を響かせ僕の耳に入って来る。矢野顕子さとがえるコンサート2014「矢野顕子プラスTIN PAN」でこのライブは実現した。矢野顕子はわたしの2つ年上、そして10代で天性のリズム感をもち完全にジャズをひきこなしさらに自分の世界を構築できる天才少女として世に現れた時、彼女の存在を知りセッションとレコーディングで彼女の創世記を見守ったのが当時日本で最高の音楽ユニットだったティンパンアレイだった。激しいロックに飽きいい音楽を聴きたいと思っていた高校一年の頃だったか彼らの音楽を知り、その色鮮やかな音たちの世界に没頭した。もし人それぞれの音楽に根源があるならばぼくの音楽のマントルはまちがいなくこの人たちである。地面を毎日毎日ほりつづけ水がでたり石をくりぬいたりしながら40年の時を越えて突然赤く輝いた層に直接触れた。昨日はそんな幻想を抱かせるような2時間だった。

彼ら4人がともにライブツアーをするようにかりたてたのは昨年末の大瀧詠一がこの世を去ったことだと考えたとしてもうがち過ぎではあるまい。昨夜の2部のはじめ矢野顕子のソロで大瀧さんの名曲2曲「水彩画の町」「乱れ髪」を演奏したときに彼女といっしょに声を出して歌いたかったがこころの中で歌った。
 林立夫の刻むビート世界の中なじみのある曲を弾く軽やかなあくまで軽やかな矢野顕子のピアノを細野晴臣の親指で弾くフェンダージャズベースからでてくるまるで青のヴェルヴェットのような音で包む。そこに曲にとって最高に適切なヴォリュームでいかしたギターサウンドを飛び込ませるのがバッキングに廻った時の鈴木茂の真骨頂。美味しいところをぜんぶ持って行くかのようで拍手喝采の時だ。

夢にまで見たコンサートがスタンディングオベーションで4人が舞台袖に去っていったのを見送りながらこの瞬間に立ち会える喜びにまるで極上のピノノワールを独りで一本あけたかのように酔っていた。 
tinpan2014
4人がいっしょになった奇跡の夜に出会えた幸せ