今日、午後一時から娘が通っている中学校で震災津波で大きな被害のあった陸前高田市立小友中学校の加藤校長先生の講演会があったので出かけて行った。名古屋市は陸前高田市をサポートしているので中学生にも震災の状況、支援について考える機会をあたえてとのことだった。体育館で行われた加藤校長の講演は震災当日、陸前高田市はどんな津波に襲われたのかそしてどうやって生き延びたのかそして中学校はどうなったのかということを淡々とお話しになった。聞いていて身体が震え涙があふれてきた。

全校50人の小さな中学校がその年の卒業生を送り出す卒業式のまさに前日に津波は中学を襲った。卒業式の準備で中学校の体育館は紅白の幕が前日から張られていた。陸前高田市街地より高台にある中学だが巨大な地震があってしばらくすると巨大な津波が左右にある浜から襲って来た。着の身着のままの先生達は学校に残っている子供達をつれ高台の公民館に逃げた。先生達が通勤に通っている自動車はすべて流され、高台にある校舎の3階まで津波は押し寄せ学校の備品、先生の私物などすべて押し流した。その日は授業は半日でたまたま部活などで学校に残っている生徒は先生の適切な誘導で犠牲者はなかった。しかし小友中学生の犠牲者は8名。おりから卒業式の前日であり卒業する先輩にプレゼントを買おうと自転車でショッピングセンターに買い物に行き地震に遭遇。そこから消防団員の誘導で陸前高田の大きい体育館に避難。しかし津波は無情にも体育館の天井まで攻めてきた。体育館に避難した人たち100名。そのなかの生存者なんと2名。天井の梁にしがみついていた人だけだった。

小友中学は統合のため今年で廃校になる。写真でみる震災前の陸前高田市は日本でよく見られる美しい地方都市。津波が左右にある浜から襲って来て有名な高田松原は完全消滅。7万本の松が1本だけ。奇跡の松と言われようが6万9千9百9十9本ながされた事実は重い。先生に一般市民が撮った津波の映像を見せていただいたがはじめは高見の見物のようなつもりで市民がビデオを撮っていたらビデオを撮っているところまですごい早さで津波がおしよせてくる恐ろしい映像だった。

加藤校長は復興支援のことはひとことも語られなかった。ただ「津波てんでんこ」といわれ津波、災害があったら大事な家族、身内よりとにかく自分の身を守れという「厳粛な事実」をお話しになった。加藤校長のことばは 震災にあわなかった生温い名古屋のわたしにとって本当に冷や水を浴びせられるような心持ちだった。日本人である以上東北の痛みは名古屋の痛みである。震災から一年と3ヶ月過ぎているが復興はまだまだ始まっていないと同じ。いまはまだ瓦礫撤去くらいで津波を忘れるような新しい町づくりは始まっていないと言っても良い。名古屋にすんで安全なポジションに身を置いて震災に目をそむけても生きていられる。でもそういう行き方はしたくない。なんとかなんとかすこしでも東北の方のために役に立ちたい、そう強く思った。
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陸前高田市立小友中学加藤校長の講演