昨晩お酒を飲んだので今朝冬の晴れた空の下を散歩に出かけた。長者町を通り過ぎ伏見の交差点で若いアルバイトの女性がパチンコ店開店のティッシュを配っていた。その姿を見て30年前のことを思い出した。

1981年夏ぼくは父親と一緒に現在の仕事であるテーラーを始めた。父はじり貧に陥っていたテーラーに服地を卸す仕事羅紗屋を整理して新たにみずからテーラーになる決断を下しぼくもその仕事に従事することとなった。当時社長だった父は現在でも当店のスーツの縫製をを担当している縫製工場が縫い上げたスーツ、ジャケットを見てその出来上がりの美しさに感銘を受けテーラーになることを決めた。いままでの顧客であるテーラーはコンペティターとなりスーツやジャケットをオーダーしていただける顧客を見つけるのがそのころの最大の課題となった。

当時は父親の知り合いとぼくの友達くらいしかツテは無く新しい顧客を見つける手段なんてほとんど無かった。もちろん今と違いインターネットも無いし男性ファッション雑誌もあるわけでなしラジオテレビ新聞に掲載してもらうにも先立つものが無かった。そこでオーダースーツのパンフレットを作成し街頭で配る事を考えた。大学に入る前名古屋のロックバンド、センチメンタルシティロマンス通称センチの事務所に入り浸っていてコンサートの前にはコンサートを告知しチケットを買ってもらうため街頭や大学の門の前でビラを配っていた経験から思いついたのだ。テーラー関係専門の印刷会社にパンフレットを何千部か刷ってもらい、一人でそれだけの数を配る訳にいかないので友達のK君に朝だけアルバイトとして頼み、二人で伏見の街頭、地下鉄の出口に何日か立ち、ビラを配った。 経費がないためティッシュも付いていないので受け取らない人も多く、一枚何円かかけて刷ったものが離れたゴミ箱にまとまった数捨てられているのをみて悲しい気持ちにもなった。

その後店で成果を待ったが当然誰も来店するひとはいない。ビラを見てスーツをオーダーをするひとなんかいない、こういう努力を重ねる行為そのものが重要なんだと自分をなぐさめそして諦めかけた頃、Tさんという伏見の近くに住む方がビラを見たといってスーツをオーダーしていただいた。Tさんが神様のように見えた瞬間だった。まだ23歳の頃のおはなしでした。
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本文の内容には関係ないが机の上に凸レンズを使った製品がいくつか集まったので写真に撮ってみた。右から毛織物の組織を調べるルーペ、このブログのための写真を撮るのに使っているコンパクトデジカメ NIKON COOL PIX P300、今日人生で初めて日本シリーズをナゴヤドームの天井桟敷で見に行くために2300円で買ったオペラグラス、そして老眼鏡。ああそれにつけても落合博満監督が今年限りというのは残念。