約40年前、高校一年のクラスでのこと。文化祭のクラス展示のテーマを決めようとクラス会で意見を出し合った。そのときわたしがたわごとで県警本部に出向いて、裏の事情を聞きに行こうとできもしないことを思いつくままに言った。そのとき多くのクラスメイトがそりゃ面白い、それならお前がリーダーをやれということになった。そんなことできるわけもなく、わたしはなにもできないまま日にちが過ぎて行き、クラスは楽しみにしていた文化祭でたいした発表もできず、私は無責任男の汚名を着せられ、クラスの仲間からそれからその学年が終わるまで白い目で見られた。もう40年近く経過したいまでもそのつらい出来事は忘れることはできない。
とはいえそんな悲しい出来事からぼくは責任の意味を学んだ。 
先週の金曜日一年間の丸の内中学校のPTAの会長の任務がPTA総会をもって完了した。3年前、誰も引き受け手がなくわたしにお声がかかった。わたしなど地域の名士などではなくまさに一般ピープルで、名誉ある丸の内中学校のPTA会長などにふさわしい人間ではないが、お役に立てるなら引き受けようしようと考えた。そのとき当時の会長は、田中さん会長なんて楽なものだよ、ただなにかあったとき責任をとるのがその仕事なんだととわたしにアドバイスしてくれた。その言葉に従い、なにかことがあった場合、責任はわたしが取る、40年前の馬鹿な高校生のような無責任なことは絶対しない。そんなことを思いながらこの一年過ごしてきた。清く正しくすごしてきたわけでもないがこころのどこかにそのことがあったことは否定できない。

実際のところPTA活動は会員さんや役員さんや学校のスタッフのご協力で問題の発生はまったくなく楽しいことばかりだった。ただそんな重荷のようなものがあったのでPTA総会の日を無事迎えたのは感慨深かった。
また高校時代の話に戻る。高校の授業で吉田兼好の徒然草を習ったなかで「高名の木登り」という話がいまでも忘れられない。木登りの上手だという人は木登り自体がうまいというより木から安全に降りてきて最後の一歩を確実に地面につけるまで気を抜かないひとだ、そんな内容だったと記憶している。

PTA会長の役も総会の席で現会長から新会長の選出について承認の拍手をもらうまで緊張していた。そのときにずっと頭の中にあったのはその「高名の木登り」の話だった。(いまネットで原文を調べたら私の考えていた内容とすこし違っていた。やはり高校生は馬鹿だったんだなあ。)

会長の任を解かれるとやはり軽やかな気分になったのは間違いない。たまたま夕方に同級生のフクヤが遊びにきたのでさらにシモちゃんもさそって今池のお好み焼き屋さん「今池屋」で「打ち上げ」をした。彼らはそのPTAとはまったく関係はないのだが文句も言わずつきあってくれた。ほんとうに良い友達だと感謝している。
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まだ明るさの残る夕方、男三人今池屋にあつまる。
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デラそば
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今池屋の後、なかむら参にいきほろ酔い加減で高牟神社の鳥居をくぐり霊水でのどを潤す。ここは木曽川の伏流水の名水が湧き出る場所。だから以前は元古井町といった。吹上という名もそこから由来しているし、以前にあったサッポロビールの工場もその名水を使っていた。