今日は11月のつきはじめ、木々は色づき、紅葉の季節。気温は低いがけっして寒くはなくさわやかな空気のなか、母と墓参にむかいました。父が亡くなってから続けている月初めの墓参は一回も欠かさずにもう260回以上続けてきました。
私は22歳の年から洋服屋を続けているのでことしで62才ですからまるまる40年間、この仕事で飯を食うことができました。ほんとうにありがたいことです。ご先祖様の墓前に手を合わせてそんな感謝の気持ちがふつふつと湧いてきました。
当店の前身は祖父が戦後始めたテーラーさんむけの羅紗店(紳士服地店)でしたが40年前採算が合わなくなって店をたたむことになり、そのストックの服地から始めたオーダー店でした。最初はいい素材といえば羅紗店のメインだったミユキテックス、英国ではウェインシール、イタリアでは現在エルメネジルド・ゼニア傘下のアニオナ社高級タッサー「ムレット」くらいしかありませんでした。すくない良品をなんとか売ろうと若いころはもがいていました。ただ父はまだまだ未熟だった私に服地の買い付け一部任せてくれました。その御蔭でだんだん服地にたいする知識が増え、取引先も増えてきました。ハリスツイード、ヴィターレバルベリスカノニコ、テイラー&ロッジ等も入荷して、在庫を売っているころより随分楽になってきました。
それから日本はバブル。オーダー業界には生地ネームにブランドネームが入ったスーツ素材が入ってきました。ブランド名を明記するのは控えますがヨーロッパのタバコ屋由来、かばん屋由来のネームが入ったブランド服地は、良いようですがじつはどこで織ったかわからないブラックボックス的生地だったのです。売れるのには売れたのですが、それにずっと強い違和感を感じていたので、その後、いまから26年ほど前、歴史ある毛織物工場であるロロ・ピアーナ社、エルメネジルド・ゼニア社が日本法人を設立した際に直接取り引きができるようになったことは名前だけの服地と縁が切れた当店の歴史にとって重要な瞬間でした。
また日本最高のモデリスタ柴山登光先生との出会いも当店にとってはラッキーでした。柴山先生が作成したパターンはほとんどすべての方に美しくフィットします。その証拠に今ほとんどのセレクトショップ、いくつかのデパートのスーツフロアが柴山先生のスキルを頼りにしています。ずっとお世話になっている縫製工場の営業の中村さんに本バス毛芯のすばらしさを教えてもらったことも言わなければならないでしょう。おかげで立体感のあるスーツがずっと納品できます。
40年前の貧弱な品揃えを思うと当店の店頭には、今素晴らしい素材ばかりが並んでいます。中国製やどこの国で織られたかわからない服地など一着もありません。どれをとっても良いスーツ、ジャケットに仕立て上がり、お客様に安心していただける素材ばかりでテーラーのわたし自身も安心して納品ができます。
いろいろな幸運が重なって現在があります。コロナで4月以降当店も来店するお客様が減りましたが、秋になり徐々にふえ秋の到来に従い寒くなるとさらにお客様のご来店が多くなりました。悲観的になった日もありましたが秋の季節、まだまだ洋服屋をつづけられそうな勇気がでてきました。40年ということで感謝フェアなどは気恥ずかしくてできませんが、お客様の後ろ姿へありがたいと手を合わせる毎日です。