水曜休みの朝は読書。読んでいる本の中に興味深い記述を見つけたので紹介します。
鎖国下の江戸時代、青木昆陽はひとり蘭学を始めた。甘藷つまりサツマイモを全国に広め、貨幣学、経済学の本を著した。最晩年に弟子を取り数ヶ月で死去。
その弟子が中津の藩医、前野良沢で齢四十八。師の突然の死に呆然となるがそれから孤軍奮闘蘭学に取り組むなか一緒に学ぶ男が現れた。それが杉田玄白。そんなある日オランダ人から買った西洋の解剖図の真偽を確かめに小塚原の刑場に死罪になった罪人の腑分けを見物するため赴く。そこで見た人の臓物の位置・形状が西洋の解剖図と全く同じだったことで西洋医学の正しさを二人確信する。それ以前の解剖書は中国で書かれたもので内臓の位置形状が実際と違い当時の医者は中国人と日本人は体内構造がちがうのかと思っていたそうだ。
長崎に赴き解剖学のオランダ語で書かれた解剖学の原書ターヘルアナトミアを入手、全訳を目指すが最初は1日かかっても一行も訳せない。苦心惨憺を続けること一年、1日十行も訳せるようになってきた。それから四年間の二人の苦労の末、解体新書の全訳完成。
前野が蘭学のパイオニアなので当然著者名を前野良沢と記すはずが前野の固辞で著者名が杉田玄白に。なぜ固辞したか?
その弟子が中津の藩医、前野良沢で齢四十八。師の突然の死に呆然となるがそれから孤軍奮闘蘭学に取り組むなか一緒に学ぶ男が現れた。それが杉田玄白。そんなある日オランダ人から買った西洋の解剖図の真偽を確かめに小塚原の刑場に死罪になった罪人の腑分けを見物するため赴く。そこで見た人の臓物の位置・形状が西洋の解剖図と全く同じだったことで西洋医学の正しさを二人確信する。それ以前の解剖書は中国で書かれたもので内臓の位置形状が実際と違い当時の医者は中国人と日本人は体内構造がちがうのかと思っていたそうだ。
長崎に赴き解剖学のオランダ語で書かれた解剖学の原書ターヘルアナトミアを入手、全訳を目指すが最初は1日かかっても一行も訳せない。苦心惨憺を続けること一年、1日十行も訳せるようになってきた。それから四年間の二人の苦労の末、解体新書の全訳完成。
前野が蘭学のパイオニアなので当然著者名を前野良沢と記すはずが前野の固辞で著者名が杉田玄白に。なぜ固辞したか?
蘭書の翻訳があまりに困難だったため前野は太宰府天満宮にて完成を祈願。その際、決して自分の名を高く広めるためではなく私利私欲の事業ではないと神前で誓う。それが訳者名を固辞した理由だそうだ。人が生きるなか重要な局面に至ると神社に祈願し誓いをたてるのは古来からの日本人のメンタリティ。ウィキペディアなどで見ると前野が翻訳を気に入っていなかったともあったがそれよりも太宰府説が真っ当なようです。