昨日大阪でメーカーの展示会があり出かけた。本町、船場地区には古い建物が点在していて散歩するのも楽しいので展示会の開始時間より早めにでかけ淀屋橋から展示会のあるビルまでぶらぶら歩いた。最近出張というと東京ばかりで大阪にいくことも少なくなったが父が社長だった頃は仕入れ先はほとんど大阪だったので朝早く近鉄アーバンライナーに乗り出かけて、鶴橋で乗換え、当時東大阪にあった縫製工場と本町周辺の取引先羅紗問屋をまわった。そんな思い出の多い本町周辺で、父との出張でたずねた場所を思い出しながら歩いた。父は何も分らなかった二十歳そこそこだったぼくに羅紗問屋で気に入った柄を選べと仕入れのかなりの部分をまかせてくれた。間違いなくその経験が生きて今の当店があると父に感謝している。
展示会のあったビルは以前は近江八幡の近江兄弟社を設立した事でも有名なヴォーリズが設計したビルでその遺構も残っていた。
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山口興産ビル ヴォーリズ建築の遺構
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せんば自由軒のインディアンカレー
昼は船場の「自由軒」でおきまりのインディアンカレーを食べたがひさしぶりの味でとても懐かしく美味しかった。その後淀屋橋から京阪電車に乗りうたたねしながら一時間。
京都三条まで着いたのは午後二時。近場をちょっと巡ろうと南禅寺に。天気がよかったので春の風に吹かれようと三門にのぼる。ここに登るとなんか気持ちがすーっとする。そこからベタだが哲学の道を散歩、とはいえ桜でも紅葉の季節でもないまだまだ寒い観光シーズンからはずれた季節だから人も少なく静かな京都を味わえる。途中いったことがなかった「永観堂」に入ってみる。ここで見返り阿弥陀様という仏像に出会う。正面から左を向いた仏像にはいわれがあり、それは、

永保2年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられた。永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。「みかえり阿弥陀如来」のお姿を現代風に解釈すると、次のようになろう。


自分よりおくれる者たちを待つ姿勢。

自分自身の位置をかえりみる姿勢。

愛や情けをかける姿勢。

思いやり深く周囲をみつめる姿勢。

衆生とともに正しく前へ進むためのリーダーの把握のふりむき。


真正面からおびただしい人々の心を濃く受けとめても、なお正面にまわれない人びとのことを案じて、横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏のみ心。永観堂ウェブサイトから

慈悲深い阿弥陀仏のお姿を見てこころ深く感じることがあった。「みな人を渡さんと思う心こそ極楽に行くしるべなりけれ」
静かな休みの午後、春なお寒い風に吹かれながらも京の仏のこころにふれ、ほっこらとした気持ちになった。そんなことを思いながら哲学の道を歩いていると銀閣に着き、ひさしぶりに庭を歩く。次第に日はかたむき、東山をあとにして御池通を上った町家を改造した洋食屋で腹ごしらえをして京都をあとにした。
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永観堂
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臥龍廊 螺旋状の木造階段が見事 永観堂
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永観堂ではこの仏手柑を育てそれを煮て飴を作って名物として売っている。売店のおばさんが境内に植えてある珍しい三鈷の松の松葉をくれた。普通は松葉は二叉に分かれているがこれは3つに分かれ弘法大師の使った仏具三鈷にちなんでそう呼ばれている。それにつられてこの飴を買ってみたがとても美味しかった。