今から25年近く前、友人のS君が同い年の息子同士を我々と同じ東海中高に入れないかと言ってきました。私は母校に息子を行かせることにあまり積極的ではなかったため正直迷いましたが、当時小学5年の学期が始まる前の息子と千種の河合塾の東海中入学コースに入る相談に行ったのです。建物の入り口に入り、ふと息子の顔を見たら、目に涙をいっぱい溜めていました。どうしたんだと聞くと、僕は行きたくないと。そんな涙が出るほど行きたくないんだったら、別に無理に行くことはないと言ってその進路は諦めました。それだったら私ができる息子への教育として世界を見せたいと考え、その夏、息子と二人でボストン&ニューヨークに行ったのです。

ボストンでは、水族館から大西洋に出る船で生きている鯨を見たり、最高峰の大学、ハーバードに行ったり、ボストン茶会事件の現場に行ったりしました。そしてニューヨークではK君のマンションに4、5日ずっと泊めてもらって、世界の中心であるニューヨークで国連の安全保障理事会の会議場に行ったり、エンパイアステートビル、自由の女神に登ったりしました。鉄道好きの息子とグランドセントラルステーション駅も行きました。それは9.11が起こる一年前ですから息子はワールドトレードセンターがテロで破壊される以前の姿もしっかり目に焼き付けていたはずです。

その旅が息子の人生にどんな影響を与えたかは、私は知るよしもありません。そしてその旅が彼にとって有意義なもだったかどうかも話したこともありません。

今回ニューヨークに着いて3日目、素敵なK君のマンションで夕食を頂いていた時、私のスマホが鳴りました。ふと見ると息子からです。何気なく今お母さんとK君のニューヨークのマンションにいるとLINEをしたのでその返事です。息子から電話がかかることは稀ですので驚きました。そして何よりも驚いたことは彼がそのLINEに反応したこと。妻がその電話で何かニューヨークの旅で覚えていると尋ねたら、K君のマンションに当時置いてあった「ゴーマニズム宣言」を読んだのが忘れられないとのこと。そんな意外な返事にちょっと笑いながらも、25年の時と日本とニューヨークという空間を超えた息子からのリアクションに、私の人生が肯定された気がして、不覚にも涙が少しだけこぼれてしまいました。

美しいクライスラービルの姿は変りませんが25年前のニューヨークの景色と変わっているでしょうか?