12月9日、今日は父親、田中茂の祥月命日、亡くなった日の事は昨日の事のように覚えているが16年も経たことになる。父の後を継いでわたしは成長したのだろうか、自問しながら今日の日を迎えた。

テーラーをまわり羅紗つまり紳士服地を販売する仕事を長い間つづけていた父は訪問したテーラーの仕立てた服を数多く見る機会があったので洋服を見る目があった。 いい服とはどういう服かということを直感的に分かっていた。いい服はぱっと見て分かる、一瞬で良い服かどうか分からなければ良い服ではないといえる。服地と仕立てが織りなすラインの美しさがその一瞬の美の光源。そんなことを父は教えてくれた。服地卸の仕事に並行してテーラーの仕事をはじめた父は当時まかせていた縫製工場は出来上がりにムラがあり困って良い縫製工場を探していた。そのとき御幸毛織の担当者が当時開発された夏を涼しくすごせるいわばクールビズのさきがけ極薄素材、シャリックで作ったジャケットを父に見せに来た。そのジャケットはハンドメイドテーラーでなくある縫製工場で作ったという。ハンドメイドテーラーでも縫いにくい素材を美しく仕立てたジャケットを見て父は極薄の素材を美しく縫えるなら安定した美しいラインが出来ると見抜いたのだった。そのジャケットを縫った縫製工場、つまり現在まで当店の縫製をすべて任せている縫製工場との取引がそのときから始まった。31年前の話である。

当時その縫製工場は美しいスーツを作る事で名高い関西縫製工場の雄、ロンナー社から技術顧問をむかえ手縫いテーラーの技術を工場縫製に移植した毛芯を使った本物の柔らかい服作りをめざしていた。その後、日本最高のモデリスタ柴山登光氏を顧問にまねき現在でもさらに高い次元のスーツつくりを目指している。

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父の祥月命日に近藤夫妻からのお花